今日の一冊

 

「ビッグ4」アガサ・クリスティ著 田村隆一訳 ハヤカワ文庫(6点)

 

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国際犯罪組織・ビッグ4と名探偵ポアロとの対決。

いつもの「犯人は誰だ?」という展開ではなく、探偵小説かスパイ小説の色合いが強い。
ビッグ4と呼ばれる4人の凶悪な犯罪者が引き起こす事件が1つ1つオムニバス形式で描かれ、最後の決闘まではらはらとする展開で読ませる。
ビッグ4のNo.1であるリー・チャン・エン、No.4である破壊者など正体不明な怪人の存在が最後まで謎に包まれていて、これまでポアロのシリーズを読んできた自分にとって「まさかこいつが?!」というどんでんがえしの展開を期待していたのだが、本作は本格推理的な要素はほとんど無く、最後の最後まで探偵・冒険・スパイ小説の色合いが強い作品となっている。

ゴルフ場殺人事件の引用が多かったので、先に其方を読むべきだったかもしれない。

物語の中に関東大震災のことや柔道など日本の事も描かれていて、ポアロが活躍したのは大正時代だった。という点も面白い驚きとなった。□

 

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ビッグ4_登場人物相関メモ

 

暮らしの手帖

くらしの手帖の美しさについて、書いてみます。

戦争が終わったばかりでものが無かった日本人に、豊かな生活を生み出すための知恵や工夫を盛り込みスタートした「暮らしの手帖」。

戦争が終わって何十年も過ぎ、豊かな生活を手に入れたと思われる現代ですら、僕たちはやっぱり何か物足りないと感じ続けている。

そして今も昔も「暮らしの手帖」のコンセプトは全くすたれることなく、ぶれることなく生き続けている。

くらしの手帖の紙面はいつも美しく、ゆたかで、何となく眺めているだけで心がほっこりと落ち着いてくる。

あれよあれよと走り続ける日々の慌ただしさを忘れ、立ち止まることの美しさを思い出させてくれる。

丁度手に取った一冊に、冷蔵庫の残り物で簡単にできるチャーハンのレシピが掲載されていて、美味しそうだったので作ってみることにした。

人参に卵にねぎ。そして塩コショウと醤油だけであっという間にできた。
そして、

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美味いのであった。

「誰もが間違いなくできるように記事を書く。シンプルな紙面を作る」

花森安治氏と大橋鎭子氏がうたいつづけたコンセプトが生き続けていることを体感した。

時代に関係なく、美しいものがある。

暮らしの手帖の美しさは、まさにそういったもののひとつだといえよう。□

今日の一冊

 

「有元葉子の料理の基本」 有元葉子著 幻冬舎

 

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技やレシピを1つ1つ説明していくような解説書ではなくて、
洗練された写真集、デザイン書、哲学書という印象を受けた。

見開きに大きな写真があるなど、大胆なレイアウトでサラッと読めてしまうが、氏がこれまで積み上げてきた技や哲学の裏付けが感じられ、かなり深い。
少ない文字に含蓄があって、見た目以上に長く読み込める一冊である。

早速、グローバルのミニ包丁の購入を考えている。
ずっと欲しかったんだ、小さな包丁が。□

一麺麭一菜

朝のパンが美味しい。

どちらかと言えば、これまでずっとごはん派で生きて来たのだけれど、最近はなんとなく惣菜パンをかじってから職場にでかけるような日々が続いていて、そうこうするうちに、食パンにたどり着いたのだった。

最近我がブログによく登場する「レンジってすごい」ということも大いに関係していると思う。
レンジでパンを焼いたら、こんがりと綺麗に焼けて、こりゃあすごい。と、うきうきしてしまったのが始まりである。

こんがり焼けた食パンはわくわくする。
小さく切ったバターを乗せると、パンに残った熱でゆっくりバターが溶けていく。
すぐにバターならではのミルクの匂いが心地よく鼻をくすぐる。一部溶けきれていないバターを残しながらも、がまんできずに、エイヤとかじりつく。

そして今や、とろけるチーズを乗せてみるだの、ケチャップをかけてみるだの、ウインナーを切ってみるだの、いろいろなアレンジが登場し、進化を続けている。
まるでキャンバスに絵具を自由において絵を描くようなワクワクする気持で、食パンを楽しんでいる。

もしかしたら、土井善晴氏が啓蒙する一汁一菜の考え方を洋食で実践したら食パンにたどり着くのではないか。一麺麭一菜?

なかなか深い、食パンなのである。□

まごころを君に

電子レンジはすごい。

確かにすごい。

魚が焼ける。パンが焼ける。

パスタを茹でることも出来る。

だけど、僕は完璧なる電子レンジ崇拝者にはなれそうもない。

ボタン一つで料理ができるというのは、確かにすごいのだけれど。
全てがボタン一つなんてありえない。という気持ちがあるのです。

NHKの料理番組3分クッキングが、

「はい、ではみなさんご一緒に。
 電子レンジのボタンを押しましょう!
 はい、完成で~す!簡単ですね~。
 では、10秒クッキングまた次回~」

.....なんてことになるわけがないのである。


料理には時系列があります。

先ずは肉に火を通した後、野菜を加え火を通す。その後に水を加える。.....といった手順があります。
その手間こそが料理を料理たらしめているともいえます。

確かにレンジで肉じゃがは出来ました。
でも本来は、まとめて一斉に熱を加えるのではなくて、素材の特性を活かした順番に火を通して行ったり、調味料を加えて行ったり、冷やしたり、温めたりする。
電子レンジもすごいけど、面倒な手間をかけて下ごしらえをしたり、鍋でぐつぐつと時間をかけて煮込んだりするような手間も大切にしていきたいと思うのです。

 

「手間はちゃんとまごころになる」

 

NamakumraEmiも歌ってましたね。(2019/5/31「今日の語録」)□

今日の語録

 

僕らは離ればなれ たまに会っても話題がない

いっしょにいたいけれど とにかく時間がたりない

人がいないとこに行こう 休みがとれたら

いつの間にか僕らも 若いつもりが歳をとった

暗い話にばかり やたらくわしくなったもんだ

それぞれ二人忙しく 汗かいて

 

素晴らしい日々だ 力あふれ すべてを捨てて僕は生きてる

君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける


なつかしい歌も 笑い顔も すべてを捨てて僕は生きてる

それでも君を思い出せば そんな時は何もせずに眠る眠る

朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える

君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける

 

(すばらしい日々 ユニコーン奥田民生

やさしい嘘


「やさしい」ってなんだろう?

「やさしい」と言われることがあります。

「やさしそう」と言われることもあります。

「やさしくなかったな」と考えることも沢山あります。


大好きな山田洋次監督の映画のひとつに「武士の一分」があります。

藩主の毒見役をつとめる武士・三村新之丞は妻・加世と慎ましくも幸せに暮らしていたが、ある日毒見で、つぶ貝の毒にあたり失明をしてしまいます。
目が治らない新之丞は取り乱しますが、妻・加世の献身的な支えにより落ち着きを取り戻していきます。
ある晩、目の見えない新之丞は「そろそろ蛍の季節だな」と妻・加世に問いかけます。
加世は答えます「まだ少し早いようです(飛んではおりません)」と。
でも、実際には蛍はたくさん飛んでいるのでした。
蛍が飛んでいるという事実を伝えることで、もう蛍を見ることができない夫を落ち込ませないように、加世は、やさしい嘘をついたのでした。

嘘をつく、ということは多くの場合は許されないことです。
でも、ときには嘘をつくこと、本当のことを言わないことが人を救うことがあります。

そういう気持ちをもつことが「やさしさ」なのではないかと、僕は思うのです。


以前、職場の仲間と飲みに行ったとき、同僚が「俺の評価が上がらない。上司は俺を全然評価しない」と、さんざん上司の悪口を聞かされたことがありました。
あまりにも話が一方的だったので、僕はつい「それはお前の努力が足りないからだ」と言ってしまったことがありました。同僚はかんかんに怒って、ちょっとした口論になりかけてしまったことがありました。

あのときの僕は、嘘偽りのない事実を言っただけなのです。
だけど事実を言う必要はなかったな、と今、思うのです。

「君もなかなか評価されずに苦労しているなあ。俺もそうだよ。
 でも、もう少し僕らもがんばれるかもしれない。がんばっていこう」

そんな言葉でよかったのではないかと思うのです。


本当のことを全て言うことは、時には「美しさ」や「やさしさ」から離れて冷たい人間と見えてしまうことがあります。

ある失敗をして落ち込んだり怒っている人がいます。
その失敗は確かに彼自身のミスであり、落ち度なんだけど、そのことを事実として「それはお前がうかつだった」と指摘することは、やさしさではないと僕は考えます。
もちろん、事実を伝え、突き落とし反省させることを目的としたやさしさというものもあるとは思いますが、こちらは上手に伝えていかないと、ただの悪者になってしまうリスクがあります(少なくとも僕にはこのやり方はできないことがわかりました)。

嘘をつくことはできるだけ避けたいものです。

でも、嘘をつくのならば、せめて優しい嘘をつきたいものだと考えます。□