サカナクションが、とがっている。とがりまくっている。
ボーカルの山口一郎の、あの挑むような目つき。ピンと張り詰めた背筋。
絶対の自信と不屈の闘志がオーラとなって体から染み出しているようだ。
そしてそれに応える優れた楽曲の数々。.....すごい。
が、このたびのニューアルバム「DocumentaLy」リリースの舞台裏をTVで見て、
「大丈夫か、山口一郎?」....と思ってしまった。
アルバムの中心を担う楽曲である「エンドレス」を生み出すのに8ヶ月を要し、完成の暁には、あたかも「老化したピッコロ大魔王が卵を産み落とした」かのような恐ろしい形相をしていた。更に、ツアーの真っ最中の難聴発症....。
完璧な楽曲を求める精神が、自らを追い詰め、追い込み、肉体を破壊しながら突き進んでいる。
「大丈夫か....?」と思わざるを得ない。
確かに楽曲の完成度、とがり具合は認める。ただ、個人的にはアーチストたるもの、視聴者にはそのような痛々しい姿を見せるべきではないと思う。
山口一郎に限ってはそんなことはないとは思うが、苦しみを人目に触れさせることで、逃げ道を作ったり、情による評価の補填を求めているようにも取られかねない。
視聴者なんてものは、結局楽曲が良ければ全て良し。なのであり、作り手のそんな苦しみの様など「知ったことではない」のである。ドライではあるが。消費者ってのはそんなものだ。
すごいのは認める。すごいものを生み出すためにはそれくらい苦しまねばならないのだな、ということも肝に銘じたい。それはひとつの励みになる。
が、更に我々が見たいのはその先だ。
その先にある「余裕」。それまでもが見たいのである。
難しいのはわかっている。そういっている自分がいつも悲壮な顔をしていることもわかっているけれども。
スーパースターにはそういう余裕を求めてしまうものだ。つぶれてしまわずにその余裕を手に入れるまで、しがみついてほしい。□