僕はナマイキか。

絵は構成で90%以上の価値が決まってしまうと思う。

つまり構成が悪い絵は、

その後いくら押そうが引こうが

価値を取り戻すことなどできないのだと思っている。

脚本が悪い映画は、たとえ黒澤明監督が撮影しても

傑作にはなれないのだと思っている。

「今の君の絵では賞は取れない」と指摘を受けた。

ならばもう賞は取れないのです。僕は素直に認めたい。

その価値であることはもう最初から決定していたのです。

もし賞をとりたいのならば、こんなクズの絵は捨てて、

もう一枚ゼロから構成をし直すしかない。そう言った。

「君はナマイキだ」と言われた。

最後の最後の「詰め」で賞をとれるかどうかが変わるのだ、

というのである。

詰めをきっちりやって賞をとるところまで引き上げろと。

ごもっともなのかもしれない。

だがやっぱり僕にはその行為を尊いとはあまり思えない。

1位になれないとわかっている作品を、グジグジいじって

100位を99位にすることに意義などあるのか。

その自分を前に出そうとするおこがましさの積み重ねが

今の洋画を「不自然」にした最たる原因なのではないか。

詰めは大切だと思う。

だけどそれ以上に最後の「詰め」などしなくても、まず、

最初から最前列に喰いこめる構成を作らないといけないと思う。

そこに時間を使うべきだと思う。絶対。今はそう思います。

ナマイキですみません。□