ヘビーローテーション

尾崎豊を聴いている。

「自由って一体なんだい?」

と聴くと、

「不自由なことさ、ぼうや」

なんて口応えしてできてしまうような
お歳ごろに僕もなってしまいましたが。

でもこれだけの時間を経てもなお、
今、改めて聴いてみれば、
やっぱりどきっとしてしまうわけで。

「この支配」からは卒業したけれど、
「あの支配」からは卒業できなくて。

あの時代の感覚は過去になっても、
今の感覚にとっては新しくなっていたりして。
普遍的なんですね。

やっぱりすごい才能だったんだなあと
噛み締めてます。

それにつけても「ダンスホール」は、
やっぱり最強なんだなぁ。□

今日の日本酒

大吟醸 喜多屋
(福岡県・八女市/株式会社喜多屋/8点)

喜多屋 - 日本酒(地酒)と本格焼酎、福岡・八女の蔵元

大切な人からの贈り物。まったく知らないお酒でしたが、
先入観なしで口にしてびっくり。うう美味いじゃないか。
小宇宙のような、ギュッとコンパクトに詰まった大吟醸
より精密にできた本物以上に精巧なミニチュアのような
大吟醸。という感じです。
東武ワールドスクエアのようなお酒です(....ってどんなだwww)。

2013年IWC(International Wine Challenge)の
チャンピオンとなった酒とのこと。美味いわけだ。□

 

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捻りだす。

頭の中に何もない。からっぽです。
本当にどうしようもないほど、何もない。
正直、とてもとてもやばい状態なのだけど、
それでもふんぞり返っている僕なのである。

かつての自分だったらとてもこんな気持ちでは
いられなかったろうと思うのです。
慌てふためき、びびりまくっていたのでは
ないだろうか。

だけど尊敬していた先生や先輩方の誰もが、
「なんとかひねりだすしかない」
みたいなことを口にしていて、
僕だけじゃないのかと知ってしまった。
その事例が増えるたび、どんどんと
不逞不逞しくなってしまっていったのだった。
更に、先日NHKのインタビューに出ていた
中田ヤスタカ氏ですら、
「頭の中には何もない。むしろ頭の中に無いものを
探すことがフレッシュ」みたいなことを言っていて、
ほぅと唸ってますます厚かましくなっていく僕です。

さて、できない言い訳ばかりため込んでいる僕ですが、
そろそろ本気で転げまわって捻りだすしかないようです。

どんなものが出たかは4月のオタノシミ?ということで....。□

ピョンチャン冬期五輪開幕

日日、仕事を進める中で「なんだこのやろう」
という対立は珍しくは無い。
より話を通しやすい人を介して「まあまあ」と
なだめてもらったり、ときには反省して、自ら
「ごめんごめん」と言うこともあるでしょう。
まぁ、そんなこんな手を都度、選択しながら、
僕らの多くのいさかいは「まあまあ」で概ね
決着がついている。

今日から平昌五輪が開幕します。

この瞬間にすべてを注いできたアスリートの
活躍をわくわくと楽しみにする一方、
オリンピックを国の摩擦緩和剤にする
北朝鮮と韓国の国どうしの動きもあるようです。
たぶん、個々の国民たちは、これまでのことも、
今のことも全部「まあまあ」で決着をつけたら
いいんじゃないかと思っているんじゃないのかなぁ。
でも個人のいさかいは「まあまあ」で収束できても
それが積み重なった国規模の問題になると、そうは
いかないのかもしれないのだろう。
一つを譲歩することでもう一つに皺が寄って
新しい摩擦ができてしまうから、せめて摩擦が
もっとも少ない最低限の選択をせざるをえない。
テレビに映るような規模の大きな課題を抱える人の
痛みや苦しみは多くの人の声を集約する窓口であり、
とても一つにまとめられるものではないのかもしれない。

決裂する直前までに冷え込んだ関係をなんとか
修復させる手段はないかと互いに待ちに待った
オリンピック。
そんな背景にすがる人の背中も忘れずに見つめ
世界平和を願いながら、大会を愉しみたいものです。□

品格の境界

全て足りないくらいが丁度良いのかもしれない。

割烹でお刺身を3切いただいたとき、とても美味しくて
もう2切欲しいと思っても「また次のご褒美にしよう」
と我慢するくらいがいいのかもしれない。
もうちょっと欲しいな。と思うくらいで止めておく
のがいいと思う。
もしその境界を乗り越えてしまったら、
「欲しい」どころか、「もういらない」となって
しまうような気がする。
もしかしたら恋愛ですら、愛が日常となれば、
顔も見たくない、に変貌してしまうのかもしれない..。
全て「もうちょっと欲しい」で止めておくのがいい。

でも、また逆に、足りなさすぎてもいけない。
上品を前に出し過ぎたような居酒屋に入り、
生ビールの中を頼んだ時、どうみても小でしょという
グラスで生中を出してくるような店に、僕は失望する。
500mlの中グラスを300mlの小で出して、うちの酒は
ブランドですなんて。上品と吝嗇は違うのです。
実際その後出てくる料理は給仕も遅く、少なすぎたり。

あふれすぎても駄目。足りなさ過ぎても駄目。

とても難しいけれど、僕はその絶妙な境界を探し、
その境界に、立っていたいと思います。□

人間という料理

人間を「料理」に例えてみる。
誰もが父と母のブレンド料理であり、唯一無二である。
味は、自分では決められない。
母も父も決められない。
神が決める。
生まれながらにして決まっているし、
生涯、決して変えることもできない。
自分が美味しい料理であるのか、
不味い料理であるのかは自分ではわからない。
世界中の誰もが美味しいといってくれる料理には
たぶんなれない。だけど美味しいと言ってくれる
人はどこかには必ずいる。

では自分はどんな味なんだろう。
さながら先日、北新地で食べた海老拉麺だろうか。
口の中に海老臭さが残って、胃もたれをした。
そんなときにとっさにこんなことを考えたから、
やっぱり僕の味は、
胃もたれする海老臭い海老拉麺」なのだろう。□

今日の語録 @東京オペラシティ「谷川俊太郎展」

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谷川俊太郎」という存在を始めて認知した詩。

ことばというものは、
視覚的な補助など無くとも
これだけ心に沁みわたる力を
持たせられるのだなと知った。□