必殺技が欲しい

今年の制作は難航している。

連日続く猛暑に体力や気力を奪われたともいえる。
胃を壊して集中力がそがれたともいえる。
だけどそんなことは見苦しい言い訳なのかもしれない。
ただ体力や精神力がおとろえてきているだけなのではないか。

でも、周りで描く仲間たちの中で僕は最年少である。
彼らは僕よりも大きな作品をひょうひょうと描いてカラカラと笑うのである。

一般的に歳を重ねるにつれて体力や精神力が落ちて制作に影響か出ることはないのだろうか。
先日酒の席でそんなことを先生に尋ねてみたのだ。
返ってきたのは意外な答えだった。

「むしろ昔よりも楽になっている」

若いころは体力任せで描いていたところもあるし、描くたびに迷いがあって右や左に絵が揺れていた。ただ、歳を重ねるにつれて、やりたいことが1つに絞れてきて、余計な体力を使うことがなくなった。最近はアトリエに入る前から、やることは決まっていて、あとはただ手を動かすだけになってきていると。

確かに、描くたびに悩んで、新しい構成や世界を考えなおしたり、勢いだけで描くことを続けていたら、若いとかは関係なくしんどいのかもしれない。そろそろ迷う自分を卒業したい。

でもね、そう簡単にはいかないのです。
やることが決まっているということは、スタイルがあるということです。
つまり必殺技が必要なのだ。
僕にとっての十六文キック。それさえ編み出せたら、最後に十六文キックで「待ってました!」とお客さんを喜ばせることができる。それを手に入れるまでは、楽に制作なんてできないでしょう。
残されている時間は限られてきている。
今のうちになんとか必殺技を編み出しておかないと、たぶんその先にあるのは引退でしょう。

まだ入り口にも入っていません。見苦しくもがく青春はまだまだ続きます。□

今日の一冊

 

「小さな森の家」吉村順三 建築資料研究社

 

著者が軽井沢に建てたこだわりの山荘を充実した写真とエッセイと設計図で紹介する。
建築資料としても価値があるし、美術書としても楽しめる。
気持ちの良い空間とは。
気持ちの良い環境とは。
気持ちの良い建築とは。
長い間、風景や建物を描いているが建築的視点で深く洞察したことはなくて、新しい切り口で制作を考えなおす貴重な資料となりました。□

 

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隣の芝はさほど青くない。

 

隣の芝はさほど青くない。

 

人間どれだけ歳をとっても隣の芝が青くみえてしまう。
人間という生き物は、自分にないものを探す名人ですね。
僕はそんな名人になりたくはなかった。
でも名人です。
小さな声の人は大きな声のひとをうらやんで、
大きな声の人は小さな声の人をうらやでんる。

次のものを持ちたいと願う、でも前のものを捨てないと次のものを持てない。
そして前のものを捨てて、次のものを手に入れたら、すぐに前のものを欲しがったりしている。
結局は、我唯足知。ということです。
どれだけ早く気付けるか、そして体に浸み込ませることができるかです。
自分の足元が一番、青いのです。たぶん。
そう信じて、一層魅力を出せるように掘り下げていきたい。磨いていきたい。いくしかない。□

ぼくらができること

北大阪地震。大雨。そして台風21号に、北海道地震

我が国が、災害の多い国であることは体に浸み込むほど理解しているつもりだったけれど、これほどまでに立て続けに災害が起きてしまうと、なんだか災害の受け止め方とか考え方すらも、変わらざるをえない。そして実際に変わってしまったように思います。

台風21号の直撃で関西国際空港が水没して大騒ぎになっているときに、北海道の大地震が発生して、報道では両方の状況を伝えなくてはいけない。僕らの目も泳いでしまう。
ボランティアの方も、大阪に向かおうと思いきや、北海道も!?となって、どこ向かっていいのか分からなくなってしまう。
かつては日本中を驚愕させた1つの災害ですら日常のようになってしまっている。「連鎖的な災害」が新しい恐怖となって、僕らの常識を上書き更新してしまっている。

東日本大震災が発生したときに、僕らは何が出来るんだろう。と激しく落ち込んだりしました。

「自分の仕事を続けるしかない。

 僕らにできることは自分の仕事を通じて、経済を回すことだ」

誰かが口にしたか、誰かが行動で示したか。
その答えが示されたとき、なんだか非情ではないか?と大きな違和感を感じたけれど、ぼくらは救いを求めるように、そんな答えにしがみついて、それぞれの社会に頭を引き戻したのだった。

そして今。北大阪地震を受け、はじめてぼくは被災者になった。
まるで真空地帯の中に閉じ込められたかのような気持ちだった。
北大阪以外の地域はどこも元気で、まるで大きな岩をさけて歩くかのように、誰もがそれぞれの現実を生き、健全に経済を回して生きているのを感じたのだった。
取り残されたような気持になったのはすこし寂しかったけれど、ある意味これが正しい姿なのだ、と素直にこの状況を受け入れることが出来た。

働く細胞じゃないけど、膝を怪我したときには、例えば手のひらや頭のあたりにいる白血球が膝までやってくるのではなくて、まずは最寄の膝の周りにいる白血球がえいやえいやと修復を試みるでいいのではないか。
たぶん、傷口というものは、ミクロからマクロまで同じような構造で修復されるようになっているのではないだろうか。

「ぼくらができること」にはいろいろな選択肢があると思います。
これからもいろいろな大変な災害があるかもしれないけれど、それぞれが正しいと思うやり方で行動するのがよいかと思っています。

それぞれの地域が早くもとどおりになり、また元気になってくれることを心より祈念しています。□

囲い込む

囲い込む。

ちょっと嫌な言葉です。でも大切な言葉でもあります。

例えば、うまいとんかつ屋がある。と聞いてその店に行ってみたとしよう。
たしかに美味い。
だけど、店の大将がどうしようもなく偏固な人だったとしたら。ぶっきらぼうだったり、なんだかいつも怒っていたりしたら。
多くのお客さんは「同じような店は他にもある。偏固でない大将がいる、同じくらいうまいとんかつ屋を探したらいい」と言って去っていってしまうでしょう。
絶対にここが一番という店もあるかもしれないけれど、探してみれば同じようなお店というものは必ず1つ2つは見つかってくるものです。
つまり、とんかつ屋は「美味い」だけではお客さんを囲い込むことはできないのです。
店内のレイアウトのかっこよさとか、清潔感とか、大将の人柄とか、価格とか。美味しさ以外にも様々な要素で他のお店に対する差を出して、お客さんを逃がさないようにしなくてはならない。

同じく、スキルがとても高くて頭の回転が速いという人はビジネスの世界で大変人気があるでしょう。
だけど、いくら頭の回転が速くても、思いやりがない。言葉使いがおかしい。姿勢に問題がある。となれば、お客さんは、他の同じくらいのスキルを持つ人や頭の回転の速い人に仕事をもっていってしまう。

僕らに求められているのは、やっぱり総合力なんですね。総合力が無いと人は人を囲い込めない。

自分が得意なことを磨くことは大切です。
でも、信頼を築いていくために不得意なことを磨いていくこともより大切になります。

美味しいだけではなくて、居心地のいいとんかつ屋を目指したいものです。□

名前を呼ぶ

組織が変わって行きます。

ごっそりと人が去って、また入ってきます。

同じ部署に来た人々がわずか数か月後には、あっという間に去っていく。
歓迎会はやったけど、人数が多すぎたり全員が来なかったりでお互いろくに名前も覚えていない。覚える間もなく彼らは去って行ってしまうのです。
そんなメンバーの一人と、偶然、給湯室で出くわしたときのこと。
彼は何の前触れもなく僕に声をかけてきたのです。

「増田さん、お仕事の調子はどうでしょう」

まるで、これまで何年も一緒に仕事をしてきた仲間であるかのような気さくさで。
どきっとしました。同時に心のまんなかに火が灯せられたような気持になりました。

同じようなことが、他にも何度かあります。
新しいビジネスパートナーと打ち合わせをすることになって、名刺交換をし挨拶しました。
「増田さん、どう思いますか」
打ち合わせに入るや否や、先ほど名刺交換をしたばかりのビジネスパートナーに名前を呼ばれ、頭の中がポッと白くなったことを覚えています。

名前を呼ぶ。という行為にはなにか不思議な力があると感じています。

名前を呼ばれたとき、初めて自分は相手にとって魂の入った一人の人間になれたような気がするのです。

名前を呼ばれるまでの時間は、まだ自分という存在はこの世界では「試用期間」であって正式に存在を認められていないというか。そんな感じがしています。
まるで、目の入っていないだるまというか。宙に漂っている実体を持たない魂というか。
それが試用期間を経て「君はこの世界で存在していてもいい」と認められたとき、初めて名前で呼んでもらえるような気がしているのです。
名前を呼ぶという事は、この世界でお互いの存在を公式に許可する一種の儀式のようなものかと感じています。
出会ったばかりのチームメイトやビジネスパートナーにいきなり名前を呼ばれて白い気持ちになったのは、多分、会っていきなり存在を認めてくれたという、予想外に早いボーナスのような気持を僕が受けたからでしょう。

こんな経験もあって、僕はなるべくすぐに新しく知り合った人を名前で呼ぶようにしています。

名前を呼ぶということはそれほどうれしいことだし、信頼しているんだよという呼びかけの意味を持つと考えています。

だからね、みんな名前を呼ぼう。

名前には言霊あるぜ。いやまじで。□

DJおじさん登場

この夏、和歌山の補陀落山寺を訪れたときのことである。

本堂の中に入ると、受付に年配の男性が一人座っていた。
「どちらからお越しで?」
入るや否や奥から出てきて声をかけてきた。マシンガンDJの始まりである。

補陀落山寺はなぜ世界遺産となりえたか知っていますか熊野三山が遺産登録されたとき片隅にあるこの寺がなぜ特別に取り上げられて世界遺産に組み入れられたか知っていますか大辺路と中辺路の丁度ターニングポイントとなる場所に建立されているからです!さらに補陀落渡海かつての住職たちは補陀落渡海船にのって浄土を目指したんですよその人数を知っていますか歴史で数えるだけで27人です私も文献を読んでいるのですがまだまだ謎が多いんです年齢にも幅がありましてね600年の歴史で30回だから20年に1回は実施されていたんですよーしかも舟に乗れるのは1名なんですがね歴史では複数の人が乗った可能性も言われていましてね乗れない人たちは船に自分の形見となるものをのせたという記録も文献にのこっていたりしましてね....ああそれからそれから....」

語る!

語る!!

語る!!!

「実は秘仏もあるんですよ。え観たい?観たいですか?観たいですよね?よござんしょうお見せしましょう実はこのたびJRとタイアップ企画がありましてね本当は年に1回しか御開帳しないのですがね希望する方だけには特別にと・く・べ・つ・に!お見せしているわけなんです今開けます開けますからねよく観てくださいじっくり観てください文化庁の役人も来てねこの十一面観音は限りなく国宝に近いと申してましてね誰が彫ったかが不明なんですがねそれさえわかれば間違いなく国宝にされていただろうというお話もされていましてね.....ああそれからそれから.....」

語る!!!!

語る!!!!!

カタルシス!!!


また別の日に、山崎の聴竹居を訪れたときも。

ボランティアで説明員をされている年配の方が語り始めました。

「自由に見ていただいて結構ですがはじめてのかたは20分ほどお話を聞いてもらえればこの建築のことをわかっていただけるかと思います聴竹居は今でいえばエコ住宅の走りでして東京帝国大学で建築を学んだ藤井厚二先生がこの一帯に幾度にもわたり実験住宅をたて5度目の建築がこの聴竹居なわけでして特徴としては4点ほどありますまずは自然の風をいかに通りやすくしたかということで夏にも過ごしやすく最大の工夫がされているわけでして上に風を通す場所があり床の下にも風が通る道ができているのですほらここにもここにも風を通す道がありますでしょう角にも棚がありますここを開けるとなんだと思いますか仏壇なんです丁度西を向くように作られていますが玄関からも拝めるように工夫されていましてそもそも当時はお客様ありきで入ればすぐに廊下で右左に居間や各部屋があった建築をまず居間として家族ありきで作った家なんです居間を通らないとどの部屋にも行けない画期的な工夫がされています畳の部屋についてもほら段差があるでしょうこれは当時椅子に座った洋風の文化が入ってきまして畳と洋をどうやって共存させようとしたかの藤井先生の工夫でして椅子のように座れる畳なんでしてほらリビングからつながるダイニングのこのRもみてくださいこれをつくるために5回ほどリテイクしたという話もありましてね....ああそれからそれから.....」


結局、1時間語りっぱなし。

爆発、カタルシス!!!!語る、死す?


かつて、サッカーワールドカップ日本代表の試合かハロウィンの日かに、渋谷のスクランブル交差点に若者たちがあふれかえったことがあった。
そのとき、あふれかえる若者たちの興奮を、メガホンで笑いを取りながらお声掛けし、統制、鎮静させてパニックを回避させた「DJポリス」が話題となった。
そのときの記憶からか、ぼくは旅先で出会う、話が止まらない彼らのことを「DJ館長」と呼んだり「DJ住職」と呼んだりしていたのです。
とにかくどこかに行けば、ほぼ必ずこのDJおじさんたちに遭遇するわけです。
そういう場所にばかり行くからでしょうが。

このDJおじさんのことを考えて思い至ったのは、おそらく、これは「愛」なのではないかと思うのです。
はるばる遠くまで旅をしてきた観光客に、この小さなお寺、小さな美術館、小さな建築のすごさを知ってほしい。楽しんでほしい。そのために私が持っているすべての知識を、その小さな拝観時間に全てお伝えしたいと思います。
そう思った彼らは、訪れるお客さんに待ってました!と全力で披露してしまうのでしょう。
とても有り難い事なんだけどね。
でも静かに見たいなと思うこともあるわけです。
僕らは、スケッチブックを広げて感じたことをメモしたり、軽くスケッチをしたりする時間が欲しいのです。
でもDJおじさんたちは、尻尾を振って走ってくるわんこのようです。
質問なんてされたものならば1に対して1000くらい教えたい気持ちで一杯なんです。

......もしかしたら、彼らは「DJ」ではないのではないか。
DJポリスは、数少ない言葉で多くの人々を笑わせ、目的としての統制や鎮静を実現した人です。
DJおじさんは、多くの言葉で数少ない観光客を引き留め、エンドレスに愛を説くわけです。

えーと、いわゆるひとつの「マシンガン・ラブ」(流行語大賞)!?

みなさま、DJおじさん、もとい「マシンガン・ラブなおじさまたち」にはご注意を(笑)。

という今日の僕のブログこそ、マシンガン・ラブだよね(爆)。□