昨年来「閉塞感」ということばを、そこここで耳にする。
「モノは溢れているが、ココロは枯れている」
今の自分自身に感じることはそんなところだ。多分、多くの日本人もそうなのだろう。
閉塞感の正体は、この「ココロの枯れ」のように思う。
もはや欲しいモノはない。ただ欲しいのはココロの枯れを満たす「何か」である。
昨今巷を騒がせている「タイガーマスク現象」。
この現象は、日に日にエスカレートし、事前に「ランドセル何個欲しい?」と電話で聞いてから届ける伊達直人や、「かあちゃん、俺たちも伊達直人やろう」と母に提案する高校生の伊達直人までもが現れた模様だ。
今日になって、伊達直人は全国で700人を超えたという。
.....この現象こそが「ココロの枯れ」を満たすために、日本人が次にとった行動ではないだろうか?
モノに満たされた日本人が、次に欲しいもの。
「ほっこりした気持ち」、「やさしくなる気持ち」、「感謝される気持ち」.....そのようなものではないだろうか。
モノに満たされた果てに至った「ココロの枯れ」を、「モノによるおすそわけ」という形で癒しているのではないだろうか。
エスカレートするこの「タイガーマスク現象」を肯定していいのか、否定していいのかはわからない。
ただ、今の日本がこういう状況に来ている。ということはしっかり噛み締めたい。
金で何でも買える。ほしいものはいつでも、何処でも、何でも、安く大量に手に入れられる。....という過剰飽和な状態を経た日本人は、その対価としてココロを失った。
次に現れた欲望は、このようなココロの欠落を満たす「おそすわけ行為」であった。ということである。
ここには、単に「子供手当て」だのと称し、金をばらまいて経済対策をのたまう政治と、国民が求めているものに大きなずれがあることも、はっきり見て取れるように思う。
そして今になっても「ものづくり立国」という過去の栄光を捨てられずに、欲しくもないものをかつてない以上の労力で作り続け、美学を押し付けている日本人の勤勉に、「美学」を越えた「醜悪」を感じるのである。
モノをこれ以上溢れさせたって、ココロを枯らす一方だというのに...。□