言いたい人。

飲み会の翌朝。
いつものように会社に現れない人がいる。
きっと二日酔いだろう。
だれもがそう思っている。ほとんど確信している。
だが本人は姿を現すと開口一番「風邪をひいてしまった」と言う。
更に「病院にいったら看護部さんが美人だった」などと補う。
美人だった等という言葉は単なるオブラートであり、言いたいことは
「私は二日酔いではない。病院にまで行った病人なのだ」ということ
なのだろう。
一体、何故これほどまでに二日酔いの事実を隠そうとするのだろう。
誰もが全てそんな嘘をお見通しなのに。
むしろ「すみませーん。二日酔いで!」と開き直って自分の失敗を
認め、公言してしまうことの方が余程ど潔くてカッコいいと思うのだが。
誰もが概ね感じている真実を、わざわざ言葉や挙動で隠そうとする姿、
かっこつけようとする姿が、かえってとても見苦しく見えてしまう。
良く見せようとしたことが逆に品格を著しく貶めている。

別部署から異動してきた新メンバーが、打ち合わせの初回でいきなり
片言の英語や中国語で議論に割り込んでくる。
話している内容は議題とは何の関係もないあいさつ程度の内容だ。
ただ英語や中国語が話せる、そういうスキルがあるということを
周りのメンバーに披露したいのである。これもまた見苦しい。
そんなものは業務の中で必要とされるときにさりげなく使えばいい
のであって、わざわざ目的もなく見せびらかすためのものでもない。
その刹那、誰もが「この人はできないんだな」と見切ってしまう。
できないという本人も薄々感じているコンプレックスをいろいろな
別手段で埋め合わせてできるように見せたいという行為なのだろう。
そう確信している。

誰もが「自分は多くの人間ができないこんなことができる」を
見せつけたいのだろう。しかしそれを主張をするほどに、
周りはかえって冷めていく。

仕事が出来る人間は、決して主張しない。語らない。
ただ仕事だけが語るように仕向けていて、本人は静かにしている。
周りにいる人間は、その仕事を見て、その人間を見切っている。
余計な言葉を差し挟むほどに本人の品格は落ちていくのである。

僕らは、ただ仕事を良くするしかない。そして黙って結果を待つしかない。
それ以上の装飾は、するほどに無様で見苦しくなる。

今、改めてそれを肝に銘じたい。DNAに焼き付けておきたい。□