地震について考える

北大阪大地震の発生から1週間以上が経過しました。

6/24以降、余震も発生しておらず、落ち着いてきているように見えます。
だけど、まだまだ終わってはいません。
久しぶりに阪急電車に乗りましたが、未だエスカレーターは停止したままでした。
駅によっては半壊して通行できなくなっている場所もまだまだ沢山ありました。
通れる箇所が限定され、全員階段を使うから、今なお騒然とした空気になります。

 

f:id:massy:20180627214951j:plain


昼過ぎに携帯電話がなりました。図書館からでした。
地震が起こる前に予約していた本が入荷したが、図書館分室が閉鎖しており、渡すことが出来ない。とのこと。もし急ぎならば中央図書館に転送するので取りに来てほしいと。
図書館にもまだまだ日常は戻ってきていません。

あの烈震を体験して、自分の中でもいろいろ変わってきているように感じます。
とても疲れている晩であっても、深夜にパッと目が覚めることが多くなりました。
目を覚ました自分自身にとても怯えます。
なにか自分でも気づいていない、動物的直感のようなものが地震発生を感じ取って目が覚めたのではないか?
すっかり冴えてしまった目で暗闇をみつめたまま、地震が来ないかとじっと待ち構えてしまう。
そして、もし今ここで本当に揺れたら、どう動くかをじっと考え、持ち出すものがまだまとまっていない.....等と真剣に考えている。次の瞬間、死ぬかもしれない。と思ったりもする。
いままで、どこかの現実だったものが、今自分の現実としてしっかりと握られ、常に警戒をするようになりました。これがトラウマというものでしょうか。

悲観はせず、経験できたことを活かして生きていこうと考えます。□