朝、小学生の通学の声で目をさます。
暑くなってきた。
そろそろプール開きの時期だろうか。
コロナウィルスの騒ぎがあるから今年はプールは無しだろうか。
まどろみのなか、小学生の声が引き金となって、プールで遊んでいた、あのころのことが思い出されてきた。
夏休みの間、当然小学校は休みだったのだが、毎日1時間程度のプール教室には通わなくてはならなかった。
水泳では定期的に検定試験があり、級付けによって、プール教室は3クラスに分けられていた。
登竜門は3級で、飛込みをしてそのまま25メートル泳ぎ切る。というものだったが、飛込みの審査がとても厳しく、4級で足止めを食っている奴が山のようにいた(4級は、普通に15メートル泳ぎきる。だった)。
かくいう自分も4級どまりで、まんなかのクラスで水泳教室に通っていた。
普段は1年生が使う1階の2つの教室が、男子用、女子用の更衣室にあてがわれ、ここで着替えてからプールに入るのだが。
この「更衣室」が当時の男子の間では深刻な戦場となっていたのである。
「おれはタオル作戦で行く!」
海パンに着替える前に、男子は高らかに更衣室にいる仲間たちに大声で宣言をしてから海パンにはき替えるのである。
要は、ちんぽをいかに見られないようにして海パンにはき替えるか。という戦いである。
海パンにはきかえる手段としては、二つの「作戦」があった。
「タオル作戦」と「パンツ作戦」である。
誰が名付けたかはわからない。まったく馬鹿なネーミングである。
「タオル作戦」は初心者向けで、単に腰にタオルを巻いて見えないようにしてからパンツをぬいで、海パンにはき替える。その後、タオルを取って、はい、完成。という作戦である。
一方「パンツ作戦」はとても難易度の高い作戦であった。
まず普通のパンツの上から、海パンをはいてしまう。それから下のパンツを少しずつずらせて脱皮するかのように脱ぎ取り、海パンだけを残すのである。
自分は当然、タオル作戦で毎日をしのいでいたが、いつかパンツ作戦を成功させよう、という野心をたぎらせていた。そういう馬鹿なやつらがいっぱいいたのである。
ある晩、兄が自宅で「パンツ作戦を練習しよう」と真剣な顔で言いだした。
兄にとっても、パンツ作戦成功は大いなる夢だったのだろう。
どうやって練習するのかと尋ねたら、普通のパンツの上に普通のパンツをはいて、ここで脱ぐ練習をしてみたらいい。というのだった。
かくして、自宅のリビングで兄弟そろってパンツを2枚重ねではきこみ、さあ、とばかりに下のパンツを脱ぎ始めたのだった。
なんともシュールで馬鹿な光景である。
......だが、どうしてもうまくパンツが脱げない。体がつりそうになる。
もはや立ってなどいられず、ごろんごろんと居間の中を行ったり、来たり、転げまわって悪戦苦闘するも、結局パンツは脱げずに、破け散ったのだった。
結局、パンツ作戦は成功を観ずに今に至る。
あのころの馬鹿な青春の一コマである。
最後に蛇足だが、その後の学年卒業間近の検定はとても検定の審査が緩くなり(たぶん全員に成功体験をさせてやろうという先生の取り計らいだったのだろう)、自分も3級を突破し、2級まで進級して小学校を卒業した。
だが、3級の検定ではおもいっきり腹打ちで飛込んでしまい、とても合格とはいえるものではなかったと記憶している。
水泳については成功体験というより失敗体験の記憶の方が強い。□