古事記

古事記が好きです。

日本で最初の文学作品です。

誰もが知っている、有名な話では黄泉がえりや、ヤマタノオロチ退治、アマテラスの岩戸隠れのエピソードなどがあります。
兎に角、全編が奇想天外です。神々が生まれ出る形態や物語の不条理が連発で、なにかを見立てているのか、ただ支離滅裂なのかもわからない。それがまた楽しいのです。

最近「ぼおるぺん古事記」(1)~(3)という漫画を図書館で発見しました。

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この世界の片隅に」の、こうの史代氏がボールペンで描きだす古事記漫画です。氏がこんな本を描いていたことは知りませんでした。
古事記を漫画で著すことは、これまでもいろいろな作家が挑戦していますが、こうの史代氏が描く神々のかわいさは圧倒的です。それでいて文体は原作の表現をそのまま使っていて、文学的な価値も高いと思います。

同じく絵解きでは五月女ケイコ氏の「レッツ!!古事記」も面白かった。
原作の不条理に追い打ちをかけるようなはちゃめちゃぶり。おもわず失笑の不条理満載、元気満載の絵で楽しく古事記が描かれています。

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新潮社のとんぼの本からでている「古事記 日本の原風景をもとめて」もおすすめです。
古事記の中に登場する日本の原風景を写真でわかりやすく紹介しています。日本の原風景を求めて旅をしたくなる名著です。

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青春出版社から出ている「図説地図とあらすじでわかる古事記と日本書記」もわかりやすい読み物として楽しく読めます。僕が最初に読んだのはこの本です。今も繰り返し紐解いています。

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そして最後は池田夏樹著「日本文学全集1古事記」。古事記の新訳の決定版です。
上・中・下巻が、もれなくがっつり翻訳されています。硬派向けです。
日本文学全集は、表紙もカラフルで可愛くて、日本を代表する作家たちが翻訳したり監修をしたりしているので、全部そろえたかったけれど、ちょっと高い本なので、1巻の古事記だけ買いました。

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夏休みにもう一度読み直して、あらためて日本の歴史を振り返り、噛み締めたいと思っています。□

心の暴力

鰻のことが心配です。

土用には鰻は食べませんでした。
もともと特別な日に食べる大切な食材です。
昨今の稚魚激減の報道もあるし、鰻は本当に特別な日に少しだけ、大切に、戴きたいと思っています。

 

そんなときに耳に入ってきた、衝撃の報道。

 

スーパーやコンビニが土用に用意した鰻の在庫があふれ、大量に廃棄されたというのです.........。分かった範囲だけでも、2.7トン、1万3650匹相当に及ぶというのです。

これはもはや、心の暴力です。
日本人の持つ欲望の醜さが、これまで積み上げてきた「徳」を全て帳消しにして、逆に「罪」が高く積み上げられてしまったような、激しい心の痛みを感じます。

節分の恵方巻きのときも、似たようなことがあったよね。オーナーが店員にノルマを課して販売を強要したとか。そして在庫を大量に廃棄したとか。
この前の北大阪地震のときだって、売り切れになったペットボトルの水が、数日後には天井まで高く積み上げられていたり。もうありがたいを超えて、不安にすら感じてしまいます。神様が眉間にしわを寄せて、僕らを見ています。
無いときは無いでいいではないか。
100個作って売り切れたから今度は10000個だ。という安易さ。次もその次も、ずっと100個でいいんじゃないの?
昨今の日本のモノの売り方は、本当に品格が無い。
何か猛省をするきっかけが絶対に必要だと思います。

過激かもしれないけれど、ぼくは、鰻については、鰻専門店以外販売禁止にしていいと思う。スーパーやコンビニの流通から鰻を外すべきだと思うのです。
食べ物を粗末にしたことに対するペナルティを、きっちり戒めるための法律を作ってほしいとすら思います。
粗末にした分の仕入れ値を次回から50倍にするとか。それくらいでも手ぬるい。

今、しっかり反省しなかったら、日本人はさらに品格の無い人種に落ちて行ってしまうような気がします。□

粗末な食事

 

ずっと自炊を続けています。

 

友達や知人とレストランや居酒屋に行くとき以外、原則外食はしません。

たいしたものは作っていません。
お魚を焼いて、お味噌汁を作り、納豆やお漬物を添える程度です。
ご飯は半合炊きます。冷凍はしません。いつも炊きたてを食べます。
そしてお酒を少々。

とてもシンプルです。

でも、自分でいうのもなんだけど、この食事を毎日とても美味しいと思っています。
ほとんど手をいれない、素材の味をそのまま食べられるものを中心に食べているからでしょうか、飽きることがありません。
徹底的に手間と時間をかけて作りこむ料理人とは、真逆の食事をしていますが、僕は、料理人も実は、手を入れない料理は、手を入れる料理に負けないくらいとても美味しい。という矛盾に気が付いているのではないか、と考えています。さらにそれがもっとも健康であるという事にも。

だけど、僕のこの食事を「粗末なものを食べている」と言う人がいます。
「粗末」とはどういう意味だろうと考えます。
「手抜き」をしているということでしょうか。
確かに手はかけていません。
仕事や制作の合間に料理するということもあって、時間をかけられないからこういうスタイルになった。ともいえます。
だけどそれ以上に、外食した後におとずれる、あの「胃もたれ」というか、体に何か「異物が入ってきた」という不快感を避けるために、自炊を、こういうスタイルを選んだというのが大きいと考えています。
この僕の食事を粗末と言う人に、僕は逆に、あなたはどういう食事をしているのかと問いたい。
それこそ味付けの濃い、手間を入れ過ぎて、素材の味を殺すような不健康な食事を、「立派な食事」と思っているのではないか(決めつけるつもりはないけれど)。


食事は大切です。
僕の食事がパーフェクトであるとは考えていませんが、食べるたびに「体が喜んでいる」ことは確実に感じています。
人生と言う長い時間で見た時に、食事がそれぞれの体にどう影響していくか。そこまでみたときに、初めて立派か粗末かが、わかってくるのだと思います。

一汁一菜。
僕はそれこそが一番シンプルで立派で、美味しく、健康だと考えています。それが誰かには粗末に見えたとしても。□

今日の日本酒

九頭龍 純米
(福井県吉田郡黒龍酒造株式会社/7点)

黒龍酒造株式会社 | KOKURYU | 「黒龍」「九頭龍」

「瑞々しい清流」のようなお酒です。
一瞬辛さも甘さもないようなお水のような感じ。
それでも舌の上で転がし喉を通すと、辛さがじわっと現れる。
確かに何にでも合わせられるお酒です。
でも特に刺身に合うかな。烏賊が食べたくなる。ああ烏賊が食べたい。□

 

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大相撲と庭園

大相撲が心配です。

2018年の名古屋場所白鵬稀勢の里鶴竜の全横綱が休場。
更に次の横綱候補と言われる栃ノ心までもが怪我で途中休場。
満を持して横綱に昇格したひさびさの日本人力士・稀勢の里横綱昇格を決めた優勝のときの怪我を引きずって、8場所連続の休場中。このまま引退してしまうのではないか!?という危機に追い詰められています。

今場所は、御嶽海が奮闘しているけれど、これまでの場所を見る限り、今場所の調子がいつまで続いてくれるのか正直不安です。次の場所はどうなるかわかりません。
優勝した力士には、次の場所も、その次の場所も同じような奮闘を期待するのですが、まるでその場所が嘘だったかのように次の場所で調子を崩してしまうのです。そういう場所が続いています。

まるでもぐらたたきをみているかのよう。

それでも相撲を見てしまう。

それでも相撲は楽しい。

相撲の魅力とは、なんだろうか。

それは相撲が「庭」に見立てられるからだと考えています。

僕は「庭」をテーマに絵を描いています。
キャンバスという限られた空間の中に、ホッとできるような「庭」を描きだしたいと思っています。
僕は絵という手段を通じて、庭を作る庭師なのです。そういうつもりで絵を描いています。

庭というものは、人間が決めた限られた空間の中に自然の見立てを作り出すものです。

最も美しいところに松を植え、池を掘り、道を作る。本当の自然には決して存在しない、人間が作り出した自然(不自然)が庭なのです。
庭とは、人間の、自然に対する挑戦です。
庭とは、自然を最高の美としたときに、どこまで人間が自然の美に近いものを、手で作り出せるかという挑戦なのです。

僕は、相撲にも「庭」を感じるのです。
15日という短い期間は、庭の空間のように感じるし、力士が奮闘するさまには、人生の見立てを感じる。

庭園が「限られた空間の中に自然の見立てを埋め込んでいく芸術」とするならば、
相撲は「限られた時間の中に人生の見立てを埋め込んでいく競技」なのです。

つまりコンパクトなんですよね。
御神輿とか庭園とか盆栽とか相撲とかは、小さな空間に宇宙を詰め込むという芸術なんです。

今の大相撲は心配だけど、それも一つの庭の姿です。
ひとりひとりの力士の活躍から人生を感じたいと思っています。□

高く売れるドットコム

永い間、家の中で眠っていたレーザーディスクプレイヤーを処分することにした。

学生時代に、こつこつとお金を貯めて買った思い出の品なので、思い入れも強くて、なかなか手放せずにいた。

レーザーディスクが普及する前までは、世の中ではVHSのビデオテープが主流だったけど、映画を一本を買うとしたら2万円位した時代だった。よっぽど好きでないと、そうそう買えるものではなかった。風の谷のナウシカのビデオが欲しくてたまらなかった。
そのハードルをレーザーディスクの登場が引き下げてくれた。
5000円~7000円くらいまでコンテンツの値段を下げて「映像を買う」というのが常識的になり始め、オリジナルビデオアニメーションの制作が波に乗って「買ってみるオリジナルアニメ」が大ヒットした。
ジャイアントロボTheAnimation」は擦り切れるほど見た思い出がある。
それ以外にも、ルパン三世1stシーズンや未来少年コナンをLDボックスで買った。
何度も繰り返し見た。今も大好きな名作たちである。

しかし時代が流れ、DVDが登場し、さらにBDまでもが登場した。LDは過去の遺物に成り果ててしまった。

それでも思い入れがあったからだろう、レーザーディスクプレーヤーの買取見積もりに大きな期待をしてしまっていたのだけれど。....見積もりが届いてびっくり。

 

「今回のお品物は合計【0円 無料回収orご返送】の査定金額となります」

 

無料で回収してやらあ!と来た。
ある冷静な知人の声では、むしろ費用をこちらが請求されるのではないか。という鋭い読みもあった。まぁ、それからみたら良心的だったのかもしれない。


今や映像は、ネットで流れちゃったりもしているから、そのうち全ての映像はサーバーで管理されて、BDとか形のあるものは姿を消しちゃうのかもしれないなぁ。


はーーーーーーーーーーーーーー。さらば青春。

こんな時代だからこそ、今の時代の若者には、岡田斗司夫オタク学入門」を一読していただきたいところです。□