今日のせつない

 

バーゲンズ「ジンセイ」


人生まだまだこれからさ。

Good times, bad times いろいろある人生。

この楽曲に出会ったのは社会人になって間もない頃だったと思う。

なにかひとつ行動をするたびに、叱られていた時代。

もうお前は動くな。それほどまでにきついプレッシャーをかけられていた時代。

そんな痛みと日々戦い、涙し、それでもどこかにある突破口に希望を捨てなかった時代。

バーゲンズの「ジンセイ」は、そんな人生の痛みや希望を、どことなくメランコリックなメロディと希望に満ちた歌詞に見立て、釣り合わない二つを見事に1つにパッキングした奇跡の楽曲だと思う。

今改めて聴いても、あの時代を思い出すし、さらにこれからの人生も、まだまだこれからだぜ。という希望を思い出させてくれる。

ながれ去った時間、なにか僕は手に入れられたのだろうか。成長できたのだろうか。

変って行くものへのせつなさを振り返りながらも、前へ進むんだ。そんな名曲なのである。□

 

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ほんとうのオフ

9月の終りの日曜日。

台風24号が迫ってきているということで、街がほとんどの活動を止めた。

台風21号の被害は本当に壮絶だったから、ちょっとぐらい外に出ても。なんて思う人はもうほとんどいなかったと思う。
美術館も、映画館も、スーパーも。どこもが、昼過ぎにはシャッターを下ろし始めていた。
その日、僕は演奏会に行って、帰りに一杯。というつもりでいたのだけど、金曜日の段階でその演奏会の中止が決まった。自宅から一歩も外に出られない。


突然、時間が空いた。


予定が無くなった。ということはよくあるのだけど、全ての予定がなくなってしまったという事態はそう無いものです。突然、空いた時間に、ぽかーんとなってしまった僕だったけれど、実は、これがなかなかよかったのです。

だいたい週末は外出したり、人と会う約束が最優先に入っていて、一日はあっという間に終わっていってしまうのです。すると2番目以降にやりたかったことは、いつもいつも先送りになってしまって、全く進めることが出来ていない。

その日、ぼくはこれまでずっと見たいと思っていた映画を観たり、やりたいと思っていたゲームをじっくりやったり、本を読んだり、実家に電話したり、これからの計画を考えたり。いろいろやりました。でも、それでいて、時間はゆっくり過ぎて行きました。

これって、ある意味「ほんとうのオフ」なんじゃないのか。

そんなことを今更思って、びっくりしてしまったのでした。いろいろ予定を詰め込む休日もいいけれど、何もしない休みを作ることも大切なんだよなぁ。

たまには、立ち止まってみる。できていないことの優先度をあげてみる。そういうオフを作ろうと思いました。


それにしても、あの日のレンタルビデオ店の行列は長かった。皆、「映画と共に籠城」ということなんでしょう。僕もその一人でした。何を観たかはまたいづれ。□

二つのスタイル

 

茨木市美術展への出品を終えた。

 

搬入締切は日曜日の午前中までだったけど、台風24号の暴風雨がひどくなると聞いていたからその前に済ませた。

市美展にはこれまでずっと油彩の小品を出していたが、今回からペン画に切り替えた。
この春の個展で、油彩作品だけでなくペン画作品を出してみたところ、思った以上に好きと言ってくれる方がいて、ペン画ももう一つの僕の世界、僕にとっての別荘ということで「VILLA」シリーズとして進めていくことにしました。
ペン画を描いてみたいと思ったきっかけは、これまで出会ってきた諸先輩方の影響があります。

パリで版画制作を続けているN先生は、パリの地下鉄の駅のホームを版画作品にしていますが、こちらの本作とは別に、辞書の紙等にスプーンを描いた小品も制作されています。
以前、お話を伺ったとき、地下鉄シリーズは本当に一枚一枚を作り出すのが大変なのだけど、スプーンの小品は息抜きのように作ることが出来る。ということでした。
息抜きといってもこちらも作品としての完成度はとても高く、二つのスタイルをうまく回している先生のスタイルに強い憧れを抱きました。

パネルの上にジェッソをまき散らし、その上から4色ボールペンで線を描き足す抽象作品を作るAさんの作品にも影響を受けました。
もともとは巨大なフレスコ作品を本作として制作を続けているAさんですが、事故で足を骨折して入院してしまったときに、病院で歩けなくても作れる作品が無いか、とボールペンでさらさらと描きだしたのがこの新しいスタイルとの出会いになった。と聞きました。まさに、不幸中の幸いです。
Aさんもフレスコ画の本作と、ボールペン画の作品を並走して、どちらも充実させています。ぼくの「二刀流」へのあこがれは次第にふくれ上がって行きました。

油彩作品を完成させるのは、本当に膨大なエネルギーを消耗します。
また、油絵具とは15年の付き合いになりますが、自分にとって本当にこの画材がベストな画材なのか、最近疑問に感じ始めていたこともあります。

二紀会の藤原護先生にお会いしたとき、画材にこびることなく、自分にとって最もベストなやり方やスタイルをさがすべきだと教えてもらいました。

そんなこんながあってのペン画です。
「またぶれた」だの「おもしろくない」だの、やっぱりあーだこーだ言われるのでしょうけど。油彩をやめるわけではないし。この二つのスタイルを並走して続けていきたいなと強く思っています。ということで今後ともよろしくお願いいたします......。

 

茨木美術展は、10/5~10/14@茨木市役所南館にて開催。
お近くにお立ち寄りの際は是非ご高覧くださいませ。。

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半分、青い。

手紙。

本屋。

ビデオ店。

スーパー。

レコード。

おとなり。

料理。

ラジオ。

万年筆。

新聞。

黒電話。

伝言板

ぼくが大切にしてきたもの。ぼく以降の人たちが忘れようとしているもの。

ぼくは時代の境界に生きている世代だと思う。

「音楽が好きです」という若者に、どんな楽曲を聴くの。と尋ねたら「雑食です」という答えが返ってきた。
「雑食」ってなんだ。
個人の消費では到底追いつかないほどに、豊かにものがあふれる時代。
若者にとって、すべては「全部」というひとくくりになって「椎名林檎一筋っす」みたいな言葉はもう時代錯誤になってきているのかもしれない。


NHKの朝ドラ「半分、青い」が終わった。


これまでの定石だった「ひとつの目標に向かってまっすぐ進んでいく」という主人公像に対して、「時代の流れを受けながら、次々と新しい目標に向かって方針を変えていく」という、これまでにない新しい主人公像を生み出したドラマだったと思います。

時代の境界に生きる若者を描いたドラマになっていたと思います。

ぼくは、この若さ、新しさというものを、はじめは受け入れることができなかったけれど、これが新しい世代を描く、新しいドラマを目指した北川悦吏子女史の挑戦だと感じ取ったとき、自分でも不思議なくらいに、それまでのわだかまりのようなものが、しかるべき心のポケットにさくっと収納されたような気がしました。

主人公のスズメと律くんの関係も、これまでのドラマではないほどの本当に遠回りだったけれど、このまわりくどさも、これが今と言う時代なんだよなあ、と素直に感じ取れたような気がします。
自由に選択ができる時代になったからこそ、本当に大切なものを見つけることに時間がかかる時代になったということでしょう。

「変わる」って、本当にかっこいいことばで、最近は誰もが口にするけれど、いざ本当に変わるとなると、しり込みしてしまったりします。
これまでの長い時間に積み上げられてきた常識や定石を、わざわざ壊して、新しいものを生み出そうとすることの怖さ、難しさが身に染みているから、挑戦しているというだけでも、充分「すげえ」と恐れ入ってしまうのです。まったくもって、恐れ入りました。
ドラマの中では、いろいろ悲しいことや大変なこともあったけど、それでも前に進まないとな。と感じました。

あー、悪口を書くつもりだったんだけどな。やっぱりプロってすごい。「半分、青い」のは僕でした。□

 

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 今日の語録(番外編)
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「スズメ、律くん、元気だろうか?
 短い手紙を書きます。
 人生は希望と絶望の繰り返しです。
 
 私なんか、そんなひどい人生でも、たいした人生でもないのに、そう思います。
 でも、人には、想像力があります。
 夢見る力があります。
 生きる力があります。
 明日を、これからを、どんなにひどい今日からだって、夢見ることはできます。
 
 希望を持つのは、その人の自由です。
 もう、ダメだと思うか、
 いや、行ける、先はきっと明るい。と思うかは、その人次第です。
 律くんとスズメにはその強さがあると、信じています。」(秋風羽織先生の手紙)

お祭り好き

 

お祭りが好きです。

 

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帰り道。どこか遠くの方から祭りばやしが聞こえてくると、
どうしても、音のする方へふらふらと足が向かってしまう。
さながら、ハーメルンの笛吹き男に呼び寄せられたネズミのように。

普段はどっぷりと闇に浸かり、ひっそりと静まりかえる裏道の小さな神社に、
このときだけ煌々と明かりが灯り、にぎやかな太鼓や笛の音が鳴り響く。
突如現れたひしめきあう幾多の屋台から美味しそうな匂いが漂ってくる。
小さなおこずかいを使って手に入れた、お菓子やヨーヨーをもって子供たちが走る。
大人もむかしながらの射的や輪投げにはまりこみ歓声ををあげている。


射的やスマートボールの屋台の奥に所狭しと積み上げられた景品の数々。
それらはもうとっくに時代錯誤な手に入れてもどうってことのないおもちゃたちだったりする。
それでもあの場所、あの空間の中だけでは、何かとてつもない宝物に見えてしまうのである。毎日繰り返される日常に、小さな打ち上げ花火があがったようなプチボーナスだ。

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一度、このままどっぷりここに浸かりこんで、夕食もここで済ませ、酒を片手にふらふらと屋台めぐりをしたい。と毎回思うのだけど、家での制作を思うと、ブレーキがかかる。そうやってこの非現実空間を後にするのである。

お祭りは心のオアシスなのです。

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追伸。
あ、一番好きなのは金魚すくいです。□

究極の選択

夭折ということばがある。

夭折したアーチストほどすごい作品を遺しているように思う。

松本竣介の「Y市の橋」とか、

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靉光の「目のある風景」とか。

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あまりにすごいから、神様の逆鱗に触れてしまったのではないか、なんて思ってしまう。神様ですら嫉妬したんだ。

一生に一度でいいから「タイタニック」みたいな恋をしたい。

映画が公開された当時、紳士淑女がそんなふうに酔いしれていた。

「長くても冷めた恋か」「短くても熱い恋か」

「大傑作を1点遺して夭折するか」「駄作を多数描いて生きながらえるか」

傑作を描かせてやる。その代わりに命をよこせ。と神様に言われたとしたら、僕は死を選べるのだろうか。

死ねまい。

だからこその、この僕。

ロウリスクロウリターンな生き方。

今日も失敗作だった。それでも前を向く。□