負を無理やり正にする思考法

先日、業務で、


「そもそも全てお前が悪い」


というメールをもらう機会があった。


いきさつは、とてもタイトなスケジュールの中、こちらが相手にお願いする要件を時間内に検討し、結論をまとめて伝えなくてはならなかったのだが、スケジュールが破綻し、ろくに検討ができていない部分を残したまま、一部をまる投げせざるをえなくなったためだ。


「そもそもこんな無理なスケジュールを立てたのはお前だ。
できもしないものをできると言って、こちらに尻拭いさせているというやり方を猛省して、次回からはちゃんと仕事しろ」


それが相手の主張であった。


このメールを受けたときは相当気分が悪くなった。
スケジュールを立てたのは自分ではない。お上である。
スケジュールが破綻していることなど誰もが承知である。
いろいろな対外的な関係からそうせざるをえないスケジュールが立てられており、俺だってやる前から無理ですと主張していた。
そんなお互い様な事情をケアすることも全くなく、相手は、兎に角尻拭いをさせられたという一側面に完全に被害者を主張し、全責任はお前のせいであると、怒りの感情をむき出しにしたメールを投げてきた。


最早こうなっては、何を返しても火に油だ。と思い、その日は全てをこらえて帰宅した。


その晩は、ウイスキーやらで一時的に忘れてみたものの、翌日になっても脳の片隅に傷跡が残っていて、完全には癒えなかった。とくに相手が女性だったこともその理由だったろう(むしろ女だからこそこのような感情メールを書くことができるのだとも思う。女ってずるいよな)。


会社の仕事というものは、組織でやるものだからこのたびの事件のように、一個人を名指しで「お前が悪い」ということはないとずっと思いこんでいた。


たとえば、一個人がトラブルを起こしても責任者が責任を取ったり、その責任者も微妙に他の責任者にそれをなすりつけたりしてみて、痛みを分かち合い、誰か一人がそれを負う事がないように回っている。
それこそが組織である(逆に言えば、それが個人が手を抜くということにもつながっているとも言える)。
が、全てがそうでもない、ということをこのたび思い知った。


この数日、俺が悪かったのか?奴が悪かったのか?....と反芻していたが、結論として最早そんなものはもうどうでもよくなっていた。


組織の中で滅多にない、このような面白い経験をできたということ。


笑ける。大笑いだ。笑ってしまおう。楽しんでしまう。


そう思うことにした。


相手は俺を組織の中の、大河の一滴ではなく、むしろ一個人としてとらえてくれたとも取れる。こんな大それたスケジュールを俺一人が立てた。と。それほどの大物と見てくれていたのか。と。
それをよろこびとして受け止めよう。


さらにチーム内では、そういう自分になんやかんやの目が集まり、有る意味コミュニケーションが活発化する契機ともなった。
「しでかしちまった」ことが、むしろ仲間たちとの「絆」を強く堅牢にする触媒として働いてくるようにも感じる。


こんなこと考えられるようになったんだな、俺。俺ってすげえ。


俺はもっともっとでかくなる。有難う。礼を言う。□