ロンドン五輪を語る(3)

アーチェリーの古川選手(銀メダル)の試合を観戦した。


互いに20秒以内に射たなくてはならず、1勝負は3本の矢を放つのみ。真ん中を射ればいい。というシンプルなルールである。だが、それでいて、深い。


短時間に気持ちを集中させて呼吸を止めるようにして放たれる矢を見ていると、なんだか神聖で哲学的な気持ちになった。


あれらの矢は実は選手の手を離れる前に、もうどこにささるかは、決まっているのではないか、とすら思った。矢の向かう先が全て運命に支配されているような気がした。


準決勝の最後の1本勝負。
その1本のどちらがいかに真ん中に近いか、だけで勝負が決まってしまう。手に汗握るとはこのことをいうのか。不謹慎かもしれないが、古川選手が先に10点を確定させ、次に相手選手が射つとき、「はずれろ!はずれろ!」と願ってしまった。それほど引き込まれていた。


決勝は残念ながら破れてしまい、銀メダルに終わったが、それでも試合は美しかった。


アーチェリーという競技に漠然とした、憧れのようなものを強く感じた。


近所で何本か試しに射たせてくれる場所はないものか、とすら考えてしまった。


だが、その刹那、すぐ思い至る。


「隣の芝の青さをうわっつらで追うな。その憧れは全部、絵でやろう」


そうなんだよ。自分には絵があった。


古川選手にとっての「アーチェリー」は、自分にとって「絵」なのであった。


隣人の達成した高みになど、そう容易にいけるもんじゃない。
自分は自分のフィールドで戦うだけである。よそ見をしている時間はないのだった。


今度は俺が輝いて、周りの人々を「絵を描きたい」と思わせたい。狂わせたい。のである。□