「ポケモンGOやってる人は手を上げて!」
職場の宴会の席のことである。
所長が尋ねると、50人中8~9割くらいの手が
さッとあがった。
なんだこの騒ぎは。
近年稀にみる盛り上がりだ。
20年以上にも亘って積み上げらげられてきた
ポケモンというキャラクターの魅力に、
現代を象徴するスマホとARの技術が融合して、
稀有な社会的センセーションが創造された。
一企業の作ったゲームに国までもが指導をする
というあり様で、実際に危惧されていた事件も
そこここに発生しているようだ。
ゲームは大好きだ。僕もやってみたい。興味がある。
だが、だからこそ自分は「やらない」を選択したい。
「僕、やってるよ」「私やってます」「俺やってる」
と皆が口々にいう中であえて「僕はやっていません」
と宣言することによる「波紋」。それを楽しみたいのです。
自分を中和的な存在としていたい。という感じもあります。
世界のムーブメントとは正反対の方向に自分を置くことで、
何か新しい会話や反響や話題が生み出されるように感じる。
ゲームそのものの話題よりも、僕はそういう二次創造的な
「言葉」や「空気」を作りだしたいのだと思います。
あえて今もガラケーを使い続けるのもそんなことなのかもしれません。
へそ曲がりなのだろうか、僕。
でもなんとなくでも伝わりませんかね。この気持ち。へそ曲がリズム。□