知人が自動車を運転中、事故に巻き込まれたようだ。
交差点で青信号になり、自動車を出そうとしたとき、横から道路を横断してきたおばちゃんのチャリンコが接触したとのこと。
「歩行者信号が点滅し始めたときに渡り始めたので、信号無視ではない」
それが、先方のおばちゃんの言い分であり、曲げる気が無い。
交渉は難航し、知人は場合によっては裁判もやむなしという覚悟までしたようだが、最終的には、なんとか示談が成立したようだ。
酒を飲みながら聞いていたので、具体的にどんな結論になったかはよく覚えていないのだが、それを聞いて「うへえ」という気持ちになったことは覚えている。
自分が事故に巻き込まれたとき、そこまでムキになれるものかと。
もし自分であったら、
相手も自分も怪我がなかったのであれば、不幸中の幸い。
これからは気を付けましょうで別れてしまったのではないか。
「絶対に相手が悪い。相手に謝罪させて、修理代を絶対に取る」
その執念に、気後れしてしまう。
その示談やらお金を支払わせるために消耗する精神的、肉体的なエネルギーを考えると、とっとと終えて忘れてしまった方が、精神衛生上、そっちの方が経済的なのではと考えてしまう。
だけど、そういう自分も、過去に個展のDMが期日までに郵送されないといった事故があったとき、しつこいほどの執着の炎が燃え上がるようなことがあった。
たぶん、人によっては、どうでもいいじゃん、そんなもの。疲れるし。
と思うこともあるだろう。
要するに、
「そもそも、その喧嘩、やる価値があるの?」
ってことなんだろうね。
6秒間、ぐっとこらえて怒りを抑えてから、あるいは一晩眠るなどしてみてから、改めて冷静に行動をした方がよい。
そんなことの1つや2つで世界は何も変わらないのだ。
その場の感情にまかせて、些末なところでエネルギーの消耗をして、大した価値もないことに労力を使うのではなくて、もっと大きなところにエネルギーを使って、些末なことを流せるくらいでいたいものです。□