そうだ、喧嘩しよう。

喧嘩をしよう。喧嘩してもいい仕事をしよう。
前々からそんなことを言われ続けてきました。
でも喧嘩なんて誰かに言われてするものでは
無いのです。
自分にとって、どうしても譲れないこと。
自分にとって、どうしても大切なこと。
そんなことが自分の中に芽生え、
それが第三者より侵害されたとき。
初めてそれが自分の声となり、喧嘩が起こる。

喧嘩ができること。

これはいわば才能なのかもしれない。
自分がどうしても大切に思うことが無い人は
喧嘩は一生できない。
大切なものを持てる、という事も才能なんだ。

今日、アトリエで師匠と大喧嘩をしました。
できるかぎり、喧嘩はしたくはなかった。
でもどうしても喧嘩しなくてはならなかった。
僕は制作をしたい。師匠も制作をしたい。
要するに、場所の取り合いでした。
酒を飲みながら喧嘩をしました。
やがて、譲歩する案がうまれた。
遊休の空間をうまく使いながら、互いに干渉
しないやり方で運用しようという結論でした。
こうして僕らは、喧嘩によって建設的な前進を
手に入れたのでした。
人と人が共に生きていくためには必ず摩擦が
起こるものです。ゆえに、一側面の現象だけで
結論を決めず議論する。議論し尽くす。そして
前向きな解決策を探っていく。これこそが大人
の喧嘩の意義であり、極意だと思うのです。

みんな、喧嘩をしようぜ。前に進んでいこうぜ。

喧嘩万歳。□