あこがれとげんじつ

 

かつて通勤路の途中に、気になる喫茶店があった。

 

地元ならではの小さな喫茶店である。

毎朝入口に大きなのぼりが出ていて「モーニング¥390円」とある。

僕はどうしてもこの喫茶店に行ってみたかった。
だが、朝という時間はどうにもこうにも忙しい。
本当は毎朝30分程度の早起きをし、足下を見ながらぞろぞろと屍人のように職場に向かう連中を差し置いて、我こそは!と、ひとりその喫茶店に飛び込み、優雅な朝を過ごしたい。とずっと考えていたのである。

だが、これだけ多くのサラリーマンがぞろぞろと歩くのにもかかわらず、誰一人としてその店に足を運び入れる者はいない。
多くの者には必要も興味もないのだろう。だが、僕はこのスパイラルからどうしても抜け出したかった。
そうずっと考えていたとき、偶然この喫茶店に入る機会があった。
ここぞ!とばかりに僕は悲願のこの喫茶店に飛び込んだのであった。

 

...............人がいない。

4,5名程度が座れるカウンターと、4人掛けテーブル2つほどの小さな店内。
客は僕だけである。カウンターにスタッフらしい男性が座っている。私服である。客なのか一見判断がつかない。カウンター内にいるスタッフと親密にはなしていたから、きっと身内なのだろうと判断する。

「モーニング1つ」

気を取り直して、注文する。
だが、それにしても居心地が悪い。
客が自分だけしかいないから、なにかと店員の視線を感じてしまうのである。
店内は狭く、暗く、息苦しかった........。
頼んだモーニングセットの食パンをかじり、コーヒーを頂くが、なんだかとても緊張してしまって、とても楽しいだとか、リラックスしようだとか、そんな気持ちにはなれなかった。

以来、あの喫茶店には行っていない。

ずっと持っていたあこがれを、どんどん具体化していくこと、刈り取っていくことは大切なのだろう。
だが、あこがれをあこがれとして、心に残しておくことも大切なのだろう。□