太陽の塔、インサイド。

 

太陽の塔の内部を見学してまいりました。

 

このたび太陽の塔の内部一般公開が実現したことについて、
僕がもっとも魅力を感じたのは、
「長い間ほったらかしにされていた芸術が再生されて現代に蘇った」
というところにあります。


大阪万博が開催されたのは1970年。もう50年ほどの前になります。
その跡地は現在、万博記念公園と呼ばれるのどかな公園となっているわけですが、太陽の塔だけは壊されずに、当時のまま残されました。
そして、その内部については、ほとんど誰の手もいれられることもなく、誰の目にふれることもなく、50年間放置され、眠り続けていたわけです。
「わが太陽の塔は必ず未来永劫、生き残る」という岡本太郎氏の圧倒的な強い思念があったのだろうと思います。
渋谷駅にある「明日の神話」もしかり。
メキシコのどこかに放置され、誰もが忘れてしまっていた高さ5メートル、幅30メートルの巨大壁画です。
明日の神話」についても、時代を経て誰かがそれを見つけ、掘り起こして、あらためて人の目に触れる形に再生され、僕らの前に出現しました。渋谷駅に設置され、いつでもその威風堂々たる姿をみることができます。

岡本太郎の芸術には、活火山のマグマのようなチカラを感じる。
活動を休止してふだんはおだやかに見える活火山も、見えないところでずっと活動を続けていて、突如、全てを忘れた者たちに、まるで激をとばすかのように大噴火をしてみせる。
岡本太郎氏の作品は、作家本人が生きているかどうかに関係なく、いつでも予想のできない爆発をする力を永続的に溜め続け、持ち続けているように思う。
たとえ、その作品がごみの中に埋もれていたとしても、必ず誰かを引き寄せて、いつでもスポットライトを向けさせ、世間の目を集めるようなチカラをもっているように思う。琳派のバトンリレーのように。
作品と共に永遠に生き続ける。それが岡本太郎氏だと思う。

太陽の塔の内部は、本当に素晴らしかった。
50年間放置され朽ち果てかけた「生命の樹」にとりつけられたブロントサウルスやゴリラのオブジェの一部は、当時動いていたとされるままに展示されていた。当時彼らが元気に動いていた姿をほうふつとさせながら今、新しくよみがえった「生命の樹木」にシンクロさせながら楽しく見学することができた。
多くのオブジェは新しく再生されていたが、当時をそのまま見せてくれたことで50年の時間を、懐かしく、誇らしく、かつ永遠のように感じることが出来た。
残念だったのは、まだまだゆっくり見たいのに、見学コースにスタッフが常駐していて、次へ次へと強制的に見学を急がせることだ。
団体観光客の混雑緩和のために、説明員を配置しているのだろう。でももっとゆっくり飽きるほどに見せてほしい。今は人気が爆発しているから仕方ないけれど、数年たてば、自由見学も許してくれるようになるだろうか。
なにはともあれ、太陽の塔、内部は必見です!予約は数か月先までうまっているみたいですが。是非一度は見てもらいたいと思います。

 

最上階の太陽の塔の「手」の内側は必見!絶対ラスボスいるわ、あそこ(笑)。□

 

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