クズの本懐 前編

地震が来て。

目の前にある多くのモノたちは諸行無常だと思い知りました。

何かを買って手に入れても、しばらくすればその多くはすぐに忘れ去られ、大抵は「ゴミ」です。

数年たってこういう気持ちになるとわかっているものを、何を考えて僕は迎え入れているのだろう。

守るべきものは僕が決めるのではなくて、社会が決めていく。そういう判断基準にしなくてはいけないと思います。

思えば多くの尊敬すべき先輩のアウトプットも、後続する後輩のアウトプットも、そして僕のアプトプットも、未来100年をみたら、たぶん全部が「ゴミ」です。
今、未来まで守られ続けるような美術は、村上隆山口晃奈良美智、会田みつおの現代美術くらいしかないと思う。
その他は、ぜんぶ「ゴミ」です。一時的なヒエラルキーの取り決めの中で、自分が誰よりも上とか下とか決めつけて、いい気分になっているのかもしれないけど、そんなものは十数年もたたずに全部「ゴミ」です。僕らは一体、なにをむきになっているのだろう......?

東日本大震災が起こったときに、みんな同じような気持ちなったかもしれない。結局、ぼくらは何もできない。人間なんて無力で無価値です。そう思います。

結局、人間はなんのために生きているのだろうか。という議論にまで展開する話です。
そしてその結論は「無価値で無力」。ただそれだけです。それ以上にはなれない。
でも僕は悲観はしてはいない。この不条理の世界に対するなんらかの解をみつけるという目的を持ってこれからの人生を生きるつもりです。

クズから抜け出す方法を探すのではなくて、クズの中で生き残る美学を探すことで残りの人生を生きる所存でいます。□