横浜にて現代美術の祭典「横浜トリエンナーレ」が開催中である。
先日、日曜美術館での本展の紹介映像を見て、強い衝撃を受けた。
私はサラリーマンをしながら表現を続けている人種であるが、
心の深淵では、芸術による表現活動を生業として生きていきたいと、
ずっと願いつづけている。
しかし、芸術には商業性は無い。
表現活動は、最低限のライフインフラが無くては続けていけない。
表現する者の多くは、最低限のライフインフラを確保するため
何かしらの社会に所属し、経済を生み出しながら、何とか表現を続けるしかない。
世界は常に商業性を求める。
その現実が個々の純粋な表現活動に制限を加え、創作意欲を奪っていく。
そして、一人、また一人....と表現の世界から人が消えていくのである。
明日のわが身かも知れない。
いつまでこんな生活を続けていけるのか、僕自身もわからない。
現実は重くのしかかり、手を緩めればすぐにでもふるい落とされるほど、
世界は、はげしく回転を続けている。
いったい何のために表現をしているのか。
生きるついでか。お金のためか。
..........なんだかもうよくわからない。
そんなときにふと目にした横浜トリエンナーレの表現の数々が、
自分を正しい表現者の視点、気持ちへとリセットをしてくれた。
見返りを求めるのではない。それらを全て投げ捨てることへの対価として
我々表現者はこれほどに自由でのびのびと「ただ楽しいから」を作り出す
ことを許されたのである。
確かに僕らは失ってしまった。だがその代わりに手に入れたものは
それ以上に誇らしくまた大きいものである。
燦然たるクリエイターの誇り。を横浜トリエンナーレが思い出させてくれた。
僕は作る。
「創作」の気持ちを失うことが「死」に匹敵する「無」であることに気付いた。
この秋、この3年に一度の横浜の祭典をしっかり目に焼き付けておきたい。
そしてクリエイターであれば誰もがもつ心の底にある赤い炎を見届け、見極め
なくてはならないだろう。□