感染

 

ウィルスがうつる。というけど、

人が持つ熱意のようなものも、うつる。


スケッチを始めた当時は、真夏だろうが真冬だろうが全く関係なく、週末が来れば「スケッチ行きましょう!」と周りを巻き込んでスケッチに出かけてました。それくらい燃えていたんですね。
今から思うと病気にならなかったのが不思議なくらいです。

それくらいの狂気をもって燃えていると、それまでスケッチにそれほど興味がなかった人たちも「私も行きます!つれていってください!」と一緒になって燃え上がることがあるのです。

 

熱意ってうつるんです。

 

だけど、短期間のうちは一緒になって燃えているんだけど、時がたつと免疫ができるのでしょう、やがてついていけない、となって離れていくのです。
熱意ってのには、感染だけではなくて免疫のようなものもあって、そんなところもウィルス感染にとても似ていると思います。


ポジティブな熱意の感染ならばいいけど、ネガティブな熱意の感染ってのもあります。
それほど興味もないし、やりたくもないものに、つきあわされたり、引きずられたりするケースです。
うつる。というより、うつされる。という感じに近い。
一般的に、感染というもののイメージはむしろこちらの方が近いと思います。
にげたい。とか、やめたい。と思っていても、逃れられず、引きずられ、地獄のような苦しみになる。

例えば、納期が迫ってきたりしている業務では、責任者がピリピリしています。
ふだんは温厚な人間ですら、峠を越えるまでは、ずっと空気が張りつめていたりする。
へたに声をかけたりしたら、ドン!と大きな爆発を起こす。
まるでガスの充満した部屋でマッチを擦るようなものです。

で、こんなピリピリした感情も、近くにいる人間に感染するんです。
本業に関係のない、機材の運搬を手伝ってもらっていた人が連絡待ちで、そのピーンと空気の張りつめた業務部屋に一緒にいたんです。
すると、責任者がちょっと大きな声をあげたことに連動して、その人までが、いきなり怒鳴り出して。
あなたが怒るようなことはないだろう。とびっくりしたんだけど、今振り返ると、感染していたんですよ、あれは。

全て自らの主体で動けている人、確たる思いで動いている人は、むしろうつすことがあっても、うつることなどないのだろうけど。
それほどでもなく、普通にやっている人ってのは、うつりやすいんじゃないだろうか。


なんだか、最近、たくさんの面倒に感染しているような気がしてます。
どこをみてもしんどいのです。
切り捨ててしまいたいと思うけど、切り捨てたら、もう二度と相手にもされないようになってしまうような崖っぷちにいるような気もして、やすやすと切り捨てることはできない。とにかく、しがみつくしかない。だけど、適当にしがみついて、ごまかしとこうとしても、すぐに看破されてしまうから無下にもできない。
逃げ場がないのです。

人生の試練としてもう少し耐えしのぶべきか。
大きな変化も覚悟して、白旗をあげて感染治療につとめるべきか。

大きな岐路に来ている。□