調子が悪くて制作が思った以上に進まない日がある。
そんなとき、まるで世界の終りのような気持になる。
これからもう二度と描くことなんかできなくなるのではないか。
でもそんな日もぐっすり眠ってしまったら、翌日はすぐに絶好調に戻っていたりする。
追い込まず落ち込まず。
調子が悪いのならば余計なことは考えずとっとと眠って、明日へ逃げたらいい。
そうだ明日へ逃げよう。そうだ京都行こう。□
調子が悪くて制作が思った以上に進まない日がある。
そんなとき、まるで世界の終りのような気持になる。
これからもう二度と描くことなんかできなくなるのではないか。
でもそんな日もぐっすり眠ってしまったら、翌日はすぐに絶好調に戻っていたりする。
追い込まず落ち込まず。
調子が悪いのならば余計なことは考えずとっとと眠って、明日へ逃げたらいい。
そうだ明日へ逃げよう。そうだ京都行こう。□
「パーキンソンの法則」というものがある。
Wikipediaには「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」とある。
例えば、ある仕事をするのに、一週間の時間があった場合でも、突然「1時間でやって」と言われた場合でも(仕事の量にもよるが)どちらであっても概ね、完成した仕事の質には大きな差はつかないということらしい。
つまり、1時間でやらねばならないとなれば、その時間でやり遂げることが出来る仕事も、1週間という時間があると、やりとげるのに1週間かかってしまう。1時間で仕事を終えて残りの6日と23時間を別の仕事にあてるという事はできないというのである。
多くの仕事をかかえながらしっかりこなしていく人というのは、ほどよい急こう配の坂道を登るような仕事量を抱えた状態にあるのだと思う。それらをこなし達成することで、自らのキャパシティを更に広げ、質を保ちながらより多くの仕事をできるようになっていくのだろう。
個展開催まで、残すところ15日程度になった。
描き上げたい作品はまだ6,7枚残されている。
正直な所、これまでの個展でここまで厳しい仕事量に追いつめられたことは無い。それでもきっと僕はやり遂げるだろう。引き返すことは絶対にしない。目の前にある門を確実にくぐり抜ける。
その達成感をつかむことが多大なコストとエネルギーをかけて個展を開催する目的の一つであると考えている。
そして成長と増長を手に入れるのだ。□
ホテルの予約状況や過去の販売動向をAIが分析して、最適な宿泊料金を決める。
とあるベンチャー企業がそんなシステムを開発したらしい。
「やられた!」と思いました。
たぶんニュースが伝えたかったのは、今どきは商品の値付けですらAIが決める時代である、という報道なんだろうけど、僕にとっては「その手があったか!」みたいな。先を越されたショックを受けてしまったのだった。
この「やられた」という感覚。
「それ、僕がやりたかったんです」という感覚。
スピードスケート女子マススタートで、最後の最後に高木菜那選手に追い抜かれ金メダルを逃したオランダ選手のような感覚。
なんだか、いつもこの感覚ばっかりなんだよね、僕。
一度は「やられた」ではなくて「やっちッたぁ~ッ!」という感覚に浸ってみたい。
イノベーションがしたい。といつも思っています。会社の業務でも、絵画制作でも。
小さくてもいい。とにかく何か新しくて光っているものを自分の中から発信したい。
日日それに向けて、あれやこれや試行錯誤を繰り返してはいるのだけど、どうもやるほどに遠ざかっている感じがします。で、そしてその隙をつかれて「やられた!」と叫んでいる。いったいなにをやっているのだろう。
少し前には、まだまだ時間はあると思っていた。でもあれからだいぶ長い時間が経ってしまったように思う。このままずっと「やられた」という敗北感ばかりで人生が終わってしまうのではないか。
ゴールもすぐ目の前に見えていた。今も目の前に見えている。ドラクエの竜王の城みたいに。でもそこに到達するために、いろいろな仕込みやら試練やら強い想いやらが待ち受けていて、なかなか思うほどうまくはいかないみたいだ。
これからもずっと「やられた!」ばかりかもしれない。
でももう一つの側面からみたら、僕はこの「やられた」という感覚が嫌いではない。この感覚は創造を目指す者だけが味わえる特権とも思える。この小さな失望がばねになって次の野心にまた火をつけてくれているような気もするのです。
いつかこの感覚をひっくりかえすという想いを絶やさず、小さな確率を上げるための仕事を継続していくしかないのでしょうね。□
いつもぎりぎりの生き方をしている。
3か月ほど前に届いた自動車免許の更新のお知らせだが、気付けば締切は今週中。みたいなことになっていてやっとこさ更新に向かった。
先日ブログに書いた鞄の購入だって、鞄の底が抜けるところまで先延ばしにして、ようやく購入した。
そして個展制作。開催まであと20日という事態になって、真っ青になって描いている。
なんでもっと早く動けないんだ。なんて思いながら、結局いつもぎりぎりの綱渡りを繰り返す。
ふと思ったのだが。もしかしたら、これは病気なのではないだろうか。
「ほんとうに追い詰められない限り本気になれない病」。
スリルがないと本気になれない。
しかもその傾斜は年々エスカレートしているようにすら思う。
そしてそれを乗り切ったとき、やればできるじゃん。と自分に増長して、次に求める傾斜がさらに急になる。
以前、賭ケグルイの生志摩妄(下図)を狂ってる。とみていた自分も、彼女に負けないくらい「狂っている」と思う。まさに、描キグルイ。だな。
「バカになれ」と若者を叱咤激励する言葉もあるくらいだし、狂うことは悪くないと思うんだけど.....。なんだかバカのポイント、ずれていますね。作品そのものへの想いでもっと狂いたいのだけどね........。なんとかならんものだろうかね.....。□
鞄を買い替えた。
ずっと頭の隅に鞄を買い替えたいという気持ちがあったんだけど、いずれいずれ。と先延ばしにしていて。そのうち、使っている鞄の底が抜けるほど薄くなってきて、さすがに後にも引けない状態になってしまった。
購入はほとんど衝動的だった。通勤途中にある鞄屋の前を通りかかったとき「そうだ、鞄買おう」と決めた。
買う鞄自体もほとんど即時決定した。
デザインがカッコいいし、収納も充分だ。肩から掛けることもできる。
とてもいい買い物ができたとルンルン気分で帰宅した。
だが、翌日。
1日使ってみて「ちょっと違う」と感じてしまう。
携帯電話やお財布が取り出しづらい。
肩にかけてみたら30分も経たないうちに肩に紐が食い込んで痛い。鞄が重い。
見た目から入ってくる期待は、いつも瞬時に大きく燃え上がって、そのとき見えてもいないことですら全て叶えられているはずだと思い込んでしまう。
この「衝動」というやつは、たいてい抑えられなくて、そのまま突き進んだとき、ほとんどの場合、うまくいかないことの方が多いように思う。
こんな事態になって、確か前回も前々回も鞄を購入したときに、自分に課した「戒」を思いだした。
一、とにかく鞄は軽いこと。
一、とにかく出しやすいこと。
一、上記を優先しデザインは二の次にすること。
全部忘れて、買ってから思い出している。学びがないというかなんというか....。
それでもまた日を改めて、その鞄をまた眺めてみると、まんざらでもないじゃん。とか思っていたりする。
新年度は、学んでいこう。(ということを忘れないように)□