アーケードゲームノスタルジー その3

 

当時のゲームセンターが小中学生への禁止区域と指定されるほど、対してビデオゲームの進化がより著しくなっていた。
ビデオゲームメーカーの人々は、ゲームの質を向上させることで、社会的に目を背けられているゲームセンターに光をともそうとしていたのかもしれない。

 

スペースハリアー

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グラディウス

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魔界村  f:id:massy:20210225211804j:plain

 

パックランド

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抑圧に抑圧され続けた当時の自分のビデオゲームへの想いは、脳内で神格化され、ゲームそのものを超えるほどの「奇跡の象徴」として脳裏に焼き付けられてしまった。

この気持ちはロミオとジュリエットのような悲劇の恋にすら例えられよう。

当時のビデオゲーム黄金期と言われる時期の中でも、とくにこの4本は自分の中で圧倒的な「ご本尊」となってしまい、今なお、そのBGMを聞いたり、画面を眺めるだけで心が震えたつような気持ちになる。

家庭用ゲーム機の性能が向上し、これらの作品を軽く超越したゲームが多発される現在となっても、脳裏に焼き付くこれらの作品の神々しさを消し去ることはない。
今なお燦然と輝き続ける金字塔なのである。
きっと、この気持ちは誰にも共有できない「願い」や「祈り」といった記憶だろうと思う。

 

 

そんな数々の名作が、今や家庭用ゲーム機で販売され遊べてしまう時代だ。

スペースハリアーは、SEGA AGESで。

グラディウスは、コナミアーケードクラシックスで。

魔界村は、カプコンアーケードスタジアムで。

 

リリースから数十年かかって、あのときに抱き続けたままねじれきった欲望が、今になって突然目の前にやってきたのである。

 例えるならば、小学生の頃に大好きだった女の子が、母親になって、離婚をして、30年たった今、独身だった自分と再婚することが決まった。そんなようなことです。

 

追伸。....但しナムコだけは、未だにアーケードゲーム解禁には腰が引けている。
はよ、パックランド出してほしい。源平討魔伝妖怪道中記なども期待。□

アーケードゲームノスタルジー その2

 

町の銭湯の出口横に、小さなゲームコーナーがあった。


風呂上がりついでに、脱衣麻雀やら1ゲーム遊ばせるなどして小さな収益を得る仕掛けである。
今になっても温泉宿に行くと、こういったゲームコーナーが併設されているのをよくみかける。風呂とゲームコーナーのような娯楽施設は昔から相性がいい。

銭湯上がりに靴下を履くという大義名分でゲームコーナーの椅子に座り、ついでのふりをしてビデオゲームの筐体をチラチラと見つめることを楽しみにしていた。
遊んでみたいという思いがありながらも、その一線は絶対に超えない、やはり頭の固い馬鹿な優等生であった。

ある日、19:00ごろ銭湯から出てくると、隣のゲームコーナーでちょっと悪めのクラスメートがゼビウスを遊んでいた。
ふだんデモしか眺めることがなく、実際にゲームがプレイされている映像を見たことがない自分は大喜びで彼のプレイを横から見ていたのだが、
そこに偶然にも帰宅途中の担任が通りかかり、ゼビウスをプレイしているクラスメートを見つけるや否や、猛烈な体罰を受けた。
銭湯に来ていたという大義名分をもつ自分には、体罰はまったくなかった。

今思っても、それほど叱られるようなことかと思うのだ。

とにかく、小中学生の夜遊び、ましてや校則で禁止しているゲームコーナーで遊ぶことなど、大人からしたら絶対に阻止せねばならない不良の入口だったのだろう。

そんなこともあって、テレビゲームファンの少年には日々が暮らしにくい時代だった。
そしてこの抑圧が、脳内にねじれ、一生消ええないアーケードゲームへの欲望を焼き付ける結果となったのだった。(つづく)

アーケードゲームノスタルジー その1

 

小中学生のころ、ゲームセンターに行くことが校則で禁止されていた。

 

不良のたまり場というレッテルが張られ、近づくことすらできなかった。

両親同伴ならば。という条件があったが、学校が「行くな」と言っている場所に、両親が連れて行ってくれることなど期待できるはずもなかった。実際、たしかに当時のゲームセンターは怖いお兄ちゃんが暴力事件を起こしたり、カツアゲをするなどの事件が多発していたのである。

 

だが、当時にもビデオゲームを一生懸命つくる人がいて、一生懸命あそぶ人がいた。

 

テレビゲームで遊びたい。
テレビにゲームが映し出され、それを手元のコントローラで操作することができる。そんな奇跡のような遊びが世の中に存在するということへの、言葉にならない圧倒的な魅力と欲望。
家庭用ゲーム機では到底実現できないような美しいグラフィックに、腹に響く重厚な楽曲たち。
そこには、自分にとって美術や芸術といっても過言ではない崇高なる期待や憧憬があった。ゲームセンターは、自分にとって教会や寺院のような場所だったのかもしれない。

だが、そんな崇高なるものに近づくことすら許されないという非情な仕打ち。
積もる欲望を果たすことのできない葛藤に日々苦しみ続けた。

類は友を呼ぶ。
ビデオゲームに強く惹きつけられるクラスメートが自然と集まり、グループのようなものができあがり、議論に花がさいた。
休日に新宿やら渋谷にでかけては、ゲームセンターには入らずに(真面目)、入口から中を覗いて、スペースハリアーの筐体に震えるほど感動したりしていた。
今から思えば、ちょっと入ってみることぐらいしたってよかったのである。
自分は、それでも校則をくそまじめに守るほどの、融通の効かない馬鹿な優等生だったのである。(つづく)