本屋大賞2024

 

「成瀬は天下を取りにいく」が、

 

図書館で486人待ちになっている...。


..............486人。

自分の手元に届くころには爺さんになってそうだ。

もはや、買ってしまった方が早い。

それでも待つ人がいるというのは、

よほどの気長な性格か、吝嗇か、なのだろうか.....。

 

まあ、待っている間でも読まねばならない本はたくさんあるからね。

それらを読んでいる間に、また年月が経って、

新しい読まねばならない本が次々と積まれていくから、

確かに、まあ、読めたら読もう。でも、いいのかもしれない。□

油断

 

油断していた。

 

最近、すこし落ち着いてきたと、緊張を緩めてしまった。

だが、緊張を解いたその瞬間、

そのすきに、想像にも及ばない未曽有の事態が起こる。

そしてこれからも、そんな事態が続々と起こることだろう。

落ち着いてなんていない。

むしろこれが本当の始まりだ。

油断なんてしている場合じゃない。緊張を解いてはいけない。□

ぶれる。

 

これまでに、もう、何度も同じことを繰り返し書いてきたと思うのだが。

 

やっぱり自分は「ぶれている」と思う。

 

この20年くらいを振り返って、成長したのはせいぜい、ぶれているなぁ。と自覚できるようになったことくらいではないか。
で、肝心のぶれているところを、ぶれていないようにすることは、未だできないでいる。おそらくこれは一生をかけた戦いになりそうな様相を呈してきた。

 

業務にしても、今持っている技術の足元を掘り続ければいい。ずっとそう言われてきたのに、時折入ってくる横槍を真に受けて「お客様に寄り添え」と言われたら、今やっていることでは到底寄り添えないと思い込んで、全く別のところを掘り出してしまう。

 

絵画にしても、そろそろやばいと、秋の制作に入ったが、今描いている絵、さっそくぶれてねえか?
だって、描きたいんだからしょうがねえだろ。と押し切ろうとしているのだが、押し切ったその先に待ち受けることばは、多分「こいつ、また、違う絵を描いてる(ぶれている)」だろう。わかっちゃいるんだ。でも引き下がれない。

 

たぶん、飽きちゃうんだろうな、今の自分に。だからあれやこれや落ち着きがない。
そしてそれを眺めている外野は、その変化を容認できない。こいつは一体何がしたいんだと思っている。

 

むしろ、このぶれまくっている所を、自分の個性と主張して人生逃げ切れないのだろうか。
この落ち着きのなさを、これから落ち着かせる努力よりも、あちらこちら好き勝手にぶれまくることを、個性として確立する方が、早いのではないかと思ってしまうのだ。

ぶれまくる。それを押し切ることを、個性として容認してくれる世界はないのかしら。□

育児のエッセンス

 

諍いの原因を作っているのは、そもそも、君。

なのに、その諍いを治めるのも、君。

そして僕らは、諍いを治めてくれた君に、心から感謝している。

 

.............なんだこれ?

不条理の極み。

でも、これこそが、育児のエッセンス。□

今日の映画 「オッペンハイマー」

 

自分が、日本人だからなのかな。

 

すっごく、不愉快でした。

映画でこんなに不愉快な気持ちになったのは、ほぼ初めてかもしれない。

そりゃあすごい知識や理論や学術や技術が結集されたものなのかもしれないが。

原爆実験に、喝采。日本に落として、喝采。って、狂ってる。

これのどこがアカデミー賞なんだ。おしえてくれ。

賞をつけるやつらも歴史をちょっとほじくったとかで安易に流されている場合じゃないぞ。

たとえ戦争というやむを得ない事態であったとしても、人殺しに喝采するなんて、人類としてどう?と思ってしまった。

それが戦争という悲劇なのかもしれないが(それを知るのがアカデミー?)。

 

自分でもまだ整理できてないけど。なんでしょうかね、この憤りは。

風立ちぬ」を観たときは、より優れた飛行機を生み出したい、と、ゼロ戦を開発した主人に素直にすごいと思えたのだけど。原爆作ったことには。美学を感じられない。

3時間のほとんどが、答えのない責任のなすりつけあいの喧嘩が続いていた。

なんだこれはと思います。

不愉快の極みです。

 

決して、クリストファー・ノーランや役者たちが悪いわけではないけど。

彼らは優れた仕事をしたのかもしれないけど。□