ぶれる。

 

これまでに、もう、何度も同じことを繰り返し書いてきたと思うのだが。

 

やっぱり自分は「ぶれている」と思う。

 

この20年くらいを振り返って、成長したのはせいぜい、ぶれているなぁ。と自覚できるようになったことくらいではないか。
で、肝心のぶれているところを、ぶれていないようにすることは、未だできないでいる。おそらくこれは一生をかけた戦いになりそうな様相を呈してきた。

 

業務にしても、今持っている技術の足元を掘り続ければいい。ずっとそう言われてきたのに、時折入ってくる横槍を真に受けて「お客様に寄り添え」と言われたら、今やっていることでは到底寄り添えないと思い込んで、全く別のところを掘り出してしまう。

 

絵画にしても、そろそろやばいと、秋の制作に入ったが、今描いている絵、さっそくぶれてねえか?
だって、描きたいんだからしょうがねえだろ。と押し切ろうとしているのだが、押し切ったその先に待ち受けることばは、多分「こいつ、また、違う絵を描いてる(ぶれている)」だろう。わかっちゃいるんだ。でも引き下がれない。

 

たぶん、飽きちゃうんだろうな、今の自分に。だからあれやこれや落ち着きがない。
そしてそれを眺めている外野は、その変化を容認できない。こいつは一体何がしたいんだと思っている。

 

むしろ、このぶれまくっている所を、自分の個性と主張して人生逃げ切れないのだろうか。
この落ち着きのなさを、これから落ち着かせる努力よりも、あちらこちら好き勝手にぶれまくることを、個性として確立する方が、早いのではないかと思ってしまうのだ。

ぶれまくる。それを押し切ることを、個性として容認してくれる世界はないのかしら。□