短い時間で多くのことを考え、出力し、決めていかなくてはならない。
スキルの高さは、人それぞれであり、評価もまちまちであるが、この夏から秋にかけて、自分を襲う忙しさは、自分のスキルではとても収まりきるものではない。
短い時間の打ち合わせの中、議題が詰め込まれ、次々と協議して決定していかなくてはならない。にもかかわらず、協議は難航し、ときには1つの議題も片付かず、定刻を迎えてしまうこともある。
その日の打ち合わせは、自分が挙げた議題が思った以上に難航し、暗礁に乗り上がりかけていた。自分の協議のあとにも、議題を抱えた人が自分の番を待っている。その無言のプレッシャーも重く「では、今日のところはこれくらいで次回に延長します.....」と議題を切り上げようとしたときである。
「いや、今日、決めきりましょう」
それは、後輩の発言であった。
この議題は何としても今日に決着をつけねばならない。
彼はそれだけを見ていた。
彼にとっては、スキルの高い低いも関係なかった。前も後も、上も下も関係なかった。
ぶれない。
ふとそんな言葉が脳裏に浮かんだ。
「今日中にやれ」というような発言をする人間は、同期や上司にもいる。
だが、彼らの発言の中に「ぶれない」と感じたことはない。
むしろ「押しつけがましい」とか「じゃまくさい」「暑苦しい」とかいう気持ちになることの方が多い。
おそらくたとえ同じ言葉であっても、見下ろす位置にいる人間からは「使役」や「保身」という裏のニュアンスを感じてしまうからではないだろうか。
先輩が多くいる打ち合わせの場で、自らの達成すべきことだけを見つめて、誰にもこびずまっすぐに進もうとする後輩の姿に、「ぶれない心」というものを感じたのであった。
大義名分の前には、先輩も後輩も関係はない。
そんなまっすぐな姿勢というものを、間近でみて、改めて「ぶれない気持ち」のすごさを体感した。
自分はぶれずに生きられているだろうか。□