制作日記

 

いい絵の定義

 

〇「ストーリー」がある絵

 ⇒ 見て、何を描いたかがすぐわかるモチーフが選ばれている。

 ⇒ 描いたもの(含・ストーリー)+にじみだすもの(個性)

  (例)上野大賞のおにぎり・こじまの花瓶・みわこ

 

〇「ストーリー」が無い絵

 ⇒「抽象=ただ綺麗」で攻める必要がある。

 

二者択一

両方取ろうとするとどっちつかずになる。共存不可。

早急にどちらかを決めるべし。そして、ぶれないこと。

バラック」はどちらなのか?

それが行ったり来たりしているから「ぶれている」扱いされる。

 

でもジャクソン・ポロックだって、あれだけすごい抽象を確立したのに、

すぐに耐えられなくなって、ぶれてるし。

たぶん、マーク・ロスコもしんどかったのではないか。

足元をたんたんと掘り続ける人生って、なかなかメンタルの厚さが必要だ。□

ファミコンゲーム 2次ベスト その4

 

前回「独眼竜正宗」のことを書いたので、シミュレーションゲームの続きで思いだす作品について書く。
すべて個人的な主観のうろ覚えなので嘘も交じっていると思うけどご勘弁。

 

□ 三国志 中原の覇者
これは傑作だった。「独眼竜正宗」の失敗を糧に(?)ナムコが仕掛けたシミュレーションゲームの第二弾(だったと思う)。三国志といえば光栄だが、そちらは当時の自分にはまだ本格的すぎたし、そもそも価格的にも1万円くらいしていて「小中学生にそんなゲーム買えるかっ」という気持ちだった。ちょうどそんなときに発売されたのが本作だ。ファミコン通信クロスレビューでオール8という高評価が出ていたのを見て、買うことを決めたが、本当に面白かった。画面デザインに温かみがあるし(これは独眼竜政宗の良さを継承したのだと思う)、指示が思うように成長につながり、わくわくしながら領土を広げていった。まさにシミュレーションゲームの良いところを家庭用ゲーム機に持ち込んだ大成功の作品だったと思う。
当時通っていた塾の帰りに同級生たちが横山光輝三国志を立ち読みしていた。自分が三国志の物語を知らなかったので、何がそんなに面白いのかと思っていたが、本作で初めて三国志に触れ、ようやく三国志にはまっている人の気持ちかに追いつけた気がしたものだ。

 

□ ファミコンウォーズ
で、次に来るのがファミコンウォーズ。次と書いたが、実際は奇しくもナムコ三国志と同時に発売された。その2つの傑作の相乗効果?がファミコンファンのシミュレーションへの関心を一気に前に進めたと思っている。
三国志も良かったが、多くの人の記憶に残っているのは、断然こちらだと思う。
ファミコンウォーズが出るぞ~こいつはどえらいシミュレーション~」という軍人が歌いながら走るTVCMは、映画「フルメタルジャケット」のワンシーンをパロディにしたような歌と映像が強烈に耳に残った。こちらもファミ通でオール8の高評価で、当時三国志にするかファミコンウォーズにするか、相当悩んだ記憶がある。結局三国志を手に入れて満足して遊んだが、その後、クラスメートにファミコンウォーズを借りてその面白さに驚愕して、無理をしてでもこちらも買っておくべきだったと後悔したほどだった。「おにぎり島がクリアできねえ」とぼやいていたクラスメートの丹羽のことばが未だに脳に焼き付いている。

キレる。

あー、もう。

忙しすぎるんだよ、ほんとうに。

こんな小さな時間を使って何かを作り上げるなんて、

狂気の沙汰だ。

 

時間にあふれている諸君。

その有意義な時間をもっと充実した出力に当てたまえ。

時間がなくて、何か小さな出力をするだけでも、

命がけの人間がいるのだから。

 

こちらも前に進むしかない。みんなそうやってひねり出してる。□

ひかぬ、こびぬ、かえりみぬ。

いやぁ、、しりぞいてますね。おいら。

一歩もひかぬ!と吠えたラオウがまぶしい。

じりじりと押されて、しりぞいて、しりぞいてる。

押され続けた先にあるのは、断崖。

どこかのタイミングで、押し返さないと、

 

......落ちますね、奈落に。□

本屋大賞2024

 

「成瀬は天下を取りにいく」が、

 

図書館で486人待ちになっている...。


..............486人。

自分の手元に届くころには爺さんになってそうだ。

もはや、買ってしまった方が早い。

それでも待つ人がいるというのは、

よほどの気長な性格か、吝嗇か、なのだろうか.....。

 

まあ、待っている間でも読まねばならない本はたくさんあるからね。

それらを読んでいる間に、また年月が経って、

新しい読まねばならない本が次々と積まれていくから、

確かに、まあ、読めたら読もう。でも、いいのかもしれない。□

油断

 

油断していた。

 

最近、すこし落ち着いてきたと、緊張を緩めてしまった。

だが、緊張を解いたその瞬間、

そのすきに、想像にも及ばない未曽有の事態が起こる。

そしてこれからも、そんな事態が続々と起こることだろう。

落ち着いてなんていない。

むしろこれが本当の始まりだ。

油断なんてしている場合じゃない。緊張を解いてはいけない。□

ぶれる。

 

これまでに、もう、何度も同じことを繰り返し書いてきたと思うのだが。

 

やっぱり自分は「ぶれている」と思う。

 

この20年くらいを振り返って、成長したのはせいぜい、ぶれているなぁ。と自覚できるようになったことくらいではないか。
で、肝心のぶれているところを、ぶれていないようにすることは、未だできないでいる。おそらくこれは一生をかけた戦いになりそうな様相を呈してきた。

 

業務にしても、今持っている技術の足元を掘り続ければいい。ずっとそう言われてきたのに、時折入ってくる横槍を真に受けて「お客様に寄り添え」と言われたら、今やっていることでは到底寄り添えないと思い込んで、全く別のところを掘り出してしまう。

 

絵画にしても、そろそろやばいと、秋の制作に入ったが、今描いている絵、さっそくぶれてねえか?
だって、描きたいんだからしょうがねえだろ。と押し切ろうとしているのだが、押し切ったその先に待ち受けることばは、多分「こいつ、また、違う絵を描いてる(ぶれている)」だろう。わかっちゃいるんだ。でも引き下がれない。

 

たぶん、飽きちゃうんだろうな、今の自分に。だからあれやこれや落ち着きがない。
そしてそれを眺めている外野は、その変化を容認できない。こいつは一体何がしたいんだと思っている。

 

むしろ、このぶれまくっている所を、自分の個性と主張して人生逃げ切れないのだろうか。
この落ち着きのなさを、これから落ち着かせる努力よりも、あちらこちら好き勝手にぶれまくることを、個性として確立する方が、早いのではないかと思ってしまうのだ。

ぶれまくる。それを押し切ることを、個性として容認してくれる世界はないのかしら。□