許す。ということ。

今、世の中はゲド戦記やボクサー亀田の試合など、相当酷評の嵐が吹き荒れているようです。


個人的には、そんなんほどほどにして許してあげたら?と思います。


別に彼らは手を抜いているわけでもなく、結果はどうあれ、一生懸命やっているわけですから。法に触れているわけでもないし。
俺たちも人のやってることにあーだこーだとツベコベ言ってる場合じゃなくて、自分のすべきことを一生懸命やるべきだと思うんですよ。


友人・知人らとそのあたりをいろいろ話している中で、唯一納得のいった回答。



「彼らはそういう酷評を受けることもひっくるめてお金をもらっているんだよ」



本質のみを語るならば、お金のことは抜きにしたい。表現者たる者はお金などあろうがなかろうが、どうしてもやりたいことだからやるだけなのである。

ただ、何かを作るためにも、発表するためにも、続けるためにも、残念ながら経済力というリアルはつきまとってくる。それに伴って、思うようにやらせてくれない障壁が現れたり、一部の心のない人々の酷評を受けなくてはならない。それが現実だ。
作る側、作らせる側、関係する者たちが労力をかけて準備をし、また次の制作につなぐという経済というサイクルの中で、表現者は、全く目を向ける必要のない瑣末な事柄の存在を経済性の中に認め、受け入れるしかないのだと思う。□