アカデミズムからの脱出

浅草に来てからこの半年あまりの間、とくに自分を苦しめ格闘してきたことは、これまでに吸収してきた師からの「教え」であった。
その教えをいかに捨てるかがこの半年であったように思う。


油彩をはじめた当初の自分はとにかく枯渇したスポンジのようになんでもかんでも信じ、求めまくっていた。師が「絵をうまくなるためには私のうんこを食べなさい」と言えば素直にそれを信じて食べるくらいの病的な狂信だったと思う。
その結果、自分が吸いあげた技は、ほとんどが自分の中から主体的に湧き出たものではなく、教えの一環として教え込まれた観念的なものにすぎなかった。そしてそれが自分を支配してしまっていた。いわば呪縛である。


確かにそれらの技は師が積み上げてきたものであり、そのまま身につけることができれば師が長年かけて発見した技を若くして手に入れることもできたのだろう。
が、結局それは全て師が作った道の上のものでしかない。
例えるならば、すばらしいサラブレッドの血を輸血してもらったものの、血液型が異なっていた。という感じか。
人が作った道は結局、その人にとって最良ではあっても、他人にはどうしても受け入れられないものである。
人は他人と同じにはなれない。
師が踏み固めた獣道を追い続けるだけで一生を過ごし通すことなど、到底できはしないのである。


この半年の苦しみの原因は全てそこにあった。
一般的には優れた技法ではあった。そのままそれを踏襲できれば確かにすばらしい絵が描ける。
が、それは自分にとって不自然な技だった。
それに気付き、それを捨てる。病的までに乾ききったスポンジに吸い込まれたその思い込みを捨てること。それが「戦い」だった。
3月の落選はその呪縛の中にあったが故である。そして先日の入選はその呪縛から開放された故の結果だったように思う。


俺は俺の道を行く。
そして多分誰も自分が固めた道をそのままついて来られはしないのだろう。□