「新装・増補版「捨てる!」技術」 辰巳渚著 宝島社新書
◆ オフィス改革の波がやってきて座席が
フリーアドレスになったとき、かつて自分の席に並べていた
多くの書籍や小物等、一切持ち込むことが出来なくなり、
思い切って全て廃棄したのだが、
その後、捨てたことで後悔したり困ったことは一度も無かった。
むしろ清々しさだけが残っていた。
◆ 「いつかは見る。いつかもう一度見直したい。」
そう思う「いつか」は、この数年やって来ることはなかった。
そして、きっとこれからもやってこない。
◆ 押入れの奥にしまわれているもの。
しまわれている間は、無いのと同じである。
この数年間、一切取り出さなかったのなら、
この数年間、そのものは無かったのと同じだ。
そしてこれからの数年間も開けないのなら、もう無くても同じだ。
シュレディンガーの猫。
◆ バガボンドを古書店に売ってみた。未練はある。
だが、果たしてこれから読みなおす機会は来るかと
問いかけたら、おそらく、きっと、無い。
最早新たに目の前に現れるものを追いかけることで精一杯である。
未練はあるが、無くてもきっと困らない。
◆ 残すべきものは、未来の自分にインプットとなるもののみ。
それ以外は、処分するか、未来の自分へのインプットとなるように
加工して残すことである。
例えば、自分のメモ。1年後は自分ですら何を書いたか思い出せなくなる。
ならば、その前にブログとして加工して残す。
メモはただのゴミになるが、ブログは確実に未来の自分へのインプットになる。
最近部屋を片付けていて、残すもの。捨てるもの。を選別し、悩み続けた挙げ句にたどり着いたのがこんな考え方だったのですが。
図書館で借りてきた「捨てる!技術」を読んでみたら、ほとんど同じことが書いてあったのです。
結局、使わないもの・見ないものは無いのと同じで、それらが消えてしまったとしても実は困らない。ならば消してしまおう。ということなのですね。
これからますます忙しくなるであろう人生で、何を捨て、何を持つか。
そういうことを真剣に悩んで、真剣に捨て、真剣に学びました。□