ギャンブル論

突然だが、今月末にラスベガスに行くことになった。


もちろん、人生初のラスベガス。である。目的はギャンブル。


カジノが好きで、海外に行くならばラスベガスかマカオのみ!と決めている知人に、以前からずっと誘われ続けていた。
海外旅行はご無沙汰なので、ここらで玉にはカルチャーショックというやつを喰らって脳をゆさぶっておいてもいいだろう。と思い、ついにOKした。


...とはいうものの、実はギャンブルというものには、ほとんど興味がない。
個人的に、ギャンブルに興味を抱く理由は2つあると思っている。
1つ目は、お金が欲しい。ということ。2つ目は、エピソードが欲しい。ということ。
要は、そのどちらにも今のところ全く関心がないのである。以下詳細。



1つ目の「お金が欲しいか」について。
もちろん、お金は欲しい。あるに越したことはない。
が、その手段としてのギャンブルは「全然かっこよくない」のだね。ワタクシ的には。


例えば今自分のアトリエが欲しい!などと夢見ていて、ギャンブルで大金を手にしたとしたら。
確かに夢のアトリエは持てるだろう。
が、後に続く人に「どうやってアトリエを手に入れたんですか?」と聞かれたとき、なんと答えたらよいのか。
「ギャンブルに勝ったからだよ!」...なんて説明できない。かっこ悪すぎる。


「運」という他人に対して説明しようのないもの、他人が見習いようのないものは、後に続くものたちに全然つながっていかない、と思う。
自分はいろいろな山や谷といった人生のプロセス、手段を全て説明できる状態におきたいのです。
ギャンブルにはそれがない。そこが個人的に興味のない理由の根源です。
(逆にそれが我が人生を、わざわざ地雷を踏み、いばらの道に進んでしまう宿命たらしめている理由の一つなのだが.....)



では、2つ目の「単に一つのネタ、エピソードを手に入れるためにギャンブルをするか」について。
それはありかもしれない。
が、たった1,2のネタを作るためにしては時間的、金銭的コストがかかりすぎる。
そんなことしている間にも自分ならば他のアプローチで100でも200でも語る価値のあるエピソードやネタを手に入れられると信じている。


∴なのでやっぱりギャンブルには興味がない(Q.E.D)



....と胡散臭いことを書いてみたものの、ではそんな自分がラスベガスに行って一体何をしに行くというのだろうか?


期待しているのは、カルチャー的に自分のガードができていない予想外の箇所からのパンチを受けることである。
それが、常に保守的なところに逃げようとする自分の観念を破壊して、頭をやわらかくしてくれるのではないか、ということを期待している。□