一粒万倍

 

朝、カレンダーを見ると「一粒万倍日」とある。

 

一粒の種で多くの収穫ができる日。商売がうまく回る日。宝くじが当たる日。というような日である。

その日、近所のホームセンターに立ち寄ったとき、偶然「サマージャンボ宝くじ」発売中という看板が目に入り、そのとき瞬時に、朝の「一粒万倍日」が脳の中でつながって、脳が考える前に衝動的に宝くじを購入してしまっていた。めったにない体験である。きっと脳が考えたら買うことはなかったろう。

 

買っておいてなんだが、実は、宝くじというものには興味がない。

 

先日売店で、久しぶりに森永チョコモナカアイス「ジャンボ」を買おうと100円玉を出したら「135円です」と言われて、びっくりした。
確か以前食べたときは、100円だったと思うのだが、いつのまにか35円も値上げしていたのである。たかが35円の値上げなのに「なんて高いのだ」と思ってしまった。

スーパーで麦茶のパックを買っている。
お茶のペットボトルは1本150円程度だが、お茶のパックを買って作れば1か月のお茶代で150円である。以来、ペットボトルは買わない。

アーモンドグリコを買おうとしたら、横に森永ハイソフトもあった。
「日本の名城カード入り」と書いてあるのを見て、即座にアーモンドグリコをやめて、森永ハイソフトを買ってしまった。日本の名城カードが欲しかったのである。

............自分は、こんな小市民なのである。

こんな人間が1億円だのを手に入れてどうなるというのか。
お金を持っていても使い方が思い浮かばない。
海外旅行をしたい。おいしいものを食べたい。アトリエが欲しい。
せいぜいそんなところか。別に宝くじに当たらなくても、実現できそうなことである。
もし「才能」がお金で買えるなら、きっと宝くじに本気で燃えていたのだろうけど。
僕がほしいものは、お金では買えない。

今回衝動的に宝くじを買ってしまったのは、きっと、お金が欲しいというより、買ったことを話のネタにしたいだけだったり、やっぱり駄目だったとかいったエピソードを誰かに話したい。というだけな気がする。

強いて言えば、自分だけの広いアトリエが欲しいとは思うが、手に入れるのなら「こつこつお金をためて努力して手に入れた」と人に話したい。宝くじのような、誰もが見習えないような手段で手に入れても、誇れるものではないと思っている。


実際当たった人が、そのまま当選金額を寄付してしまったというような話も聞くが、わかる気もする。
きっと、彼らもお金ではなくて、運試しがしたかったとか、エピソードが欲しかったとか、誰かの役に立ちたいとか、たぶん目的が、一般人とは別のところにあるのだろうと思う。多くの人は欲望におぼれて、普通の生活を失うことになってしまうのではないか。

 

やっぱり、自分には向いてそうもない。

死ぬときに貯金も借金もゼロ。それが理想です。□