1つ1つの仕事について、何ができたら終わりなのか。
仕事の着地点はいつも不明瞭だ。
関西二紀展への出品が完了した。今回は100号を2枚制作した。
タイトルは「此方から行く」と「彼方から来る」。
何を描いたかというよりそれぞれの絵に対する気持ちの状態をタイトルにつけた。
制作期限に間に合わず、当初前者1枚のみを出すつもりで居たのだが、引き続き製作中だった2枚目についても、師から「そっちの方が面白いから、手をいれずにそれも出せ」という声が掛かった。
自分にとっては描きはじめであり、着地点とするにはまだまだ「描き込みたい」というエネルギーを残した状態だったから、かなり消化不良気味の状態に陥ったのだが、冷静に見ると確かに途中ではあっても2枚目の方が勢いがあって、絵として「おもしろい」。
結局、1枚目は追いかけて追いかけて、結局「逃げられた」作品。そして、2枚目は追うのをやめたら、勝手に向こうから「やってきた」作品。
やればやるほど逃げていくのに、追うのをやめると彼らから近づいてくる。皮肉なものである。
出品は終わった。....なのに、このもやもや、不快感は何だ?
どちらの絵も完成したのに、自分の中では何も完成していない。いらいらする。
どっちの絵も大切なことが欠落している。
出品が終わったからといってこんなものに納得など出来るわけがない。
さっさと次に移る。□