「エヴァンゲリオン新劇場版:Q」を見てきた。
...........正直、さっぱりわからなかった。
オープニングシーンからもう何が行われているのか、ついて行けていない。
何とか目の前に起こっている現象に追いつこうとするも、もがいているうちに終演......。
「カッコーの巣の上で」でロボトミー手術を受けたジャック・ニコルソンのような状態になって自宅に戻る。
パンフレットを放心状態で眺めた。
が、良かったとか、悪かったとか。そういう感想すら出てこない状態だった。
ただ「自分の心の中に何かが残った」。これだけは確かだ。
3人が赤い荒野を去っていくラストシーンが、退廃的な世界になんらかの希望を感じさせ、すがすがしい余韻となって残った。
東日本大震災で物理的・精神的に被害を受けた全ての国民に向けた前向きなメッセージだったのだろうか。と勝手に解釈する。
鑑賞中は難しい話を一生懸命理解しようと追いかけていたのだが、実はそんなことはしなくてよかったのかもしれない。
「自分の中に何かが残った」。それだけで充分なのではないか。
この感覚は、野田秀樹の芝居を見た後の感覚にとてもよく似ていた。
マシンガンのように打ち込まれてくる言葉の応酬に、脳がマッサージされていくような感覚。
頭で理解できなくても、言葉にできない「快感」のようなものがしっかりと残る。
頭が理解するストーリーといったものは、単なるモチーフに過ぎず、目的はただ、観客の脳に言葉の連打によって快感を与えること。野田秀樹はそれだけに尽きるような作品づくりをしているように思う。
そういう視点で見るとエヴァンゲリオンは、もうオタク文化だのサブカルチャーだの、そういうった分野を超越して「芸術」に昇華されているように感じる(大友克弘の原画展示を見たときも同じようなことを考えたが)。
「ビールは味わってはいけない。喉で感じるものだ。」
学生時代、ビールが苦くて飲めなかった自分に先輩がこういったことも思い出す。
今になってそれがわかる。確かに、舌で飲んでは居ないよな。と。「Don't think, feel......!」ということかと。
そんなことにも近いのかもしれない。
ストーリーの難しいところについては、研究熱心な人に全て任せるとしたい。
自分はこの余韻をしばらく反芻して、自分の次の制作エネルギーに還元することにする。
次回作「I」も楽しみにしております。感謝感謝。□