「饒舌だね」とよく言われる。
これは悪い意味だととらえている。
思いは最小限のことばでしっかり伝わっていればいいと思っている。
余計なことばを重ねるほど自分の価値や品位がさがっていくように感じる。
実際今の自分の口数に対して価値のある話ができているという実感はほとんど無い。
いつもしゃべりすぎた自分に落ち込むことが多いし、お詫びの手紙ばかり書いている気がする。
だが、必ずしもこの「饒舌」は悪い意味だけでもないみたいだ。
職場に憧れの先輩がいる。
必要最小限のことばで、難しい業務の内容もとりこぼしなくすっきりと伝えられる。
先日の飲み会で、僕は先輩のように静かにたたずむような人になりたいと伝えた。
すると、先輩。
僕こそ君のようになりたい。いつもたくさん話題にあふれていて羨ましい。
思わぬことばをいただいて恐縮してしまった。
要はバランスなのだろう。
静まり返った飲み会では、それを温めるようなチカラが必要なのだろうし、
盛り上がった飲み会では、それを静観するようなチカラが必要なのだろう。
今の僕は、いつでもどこでも「温め係」なのだ。「静観係」の僕も必要だ。
その緩急を身につけていきたい。
これは空間のものづくりのひとつの学びである。そしてまた前へ進む。□