いつもどこかが痛い。
頭痛。膝痛。肩痛。腰痛..........。
少しずつ体が軋みはじめている。
それはすなわち、毎日が憂鬱ということになる。
ふと、プロテニスプレーヤーの伊達公子選手が、
「痛いことが当たり前になる」というような
ことを、かつて言っていたことを思い出す。
痛くない日々が当たり前とするなのではなく、
痛い日々を当たり前の日常であるとしてしまう。
否定的な意味ではなく、前向きな意味として、
「変化」を「日常」として受け止めるということ。
このような割り切った生き方を体に教え込むスキルが
今後、一層求められるようになっていくのかもしれない。□