いつかどこかで。

「今しかできない苦労がある。それを今しろ」

.....といったことを脚本家の倉本聡氏が言っていた。

仕事から自宅に戻り、テレビをつけて酒を飲む日日。
それは楽しいことだけど、今しかできないこと、他にないのかな?
そう自分に問いかけたら、描くこと。それしかない、と思い至る。

スキルって粘土みたいなものだと思っている。
柔らかいときなら、好きなだけ形を変えることができる。選ぶことが出来る。
だけど一度固まってしまったら、もう二度と形を動かすことができなくなる。
スキルってまさにそういうものだと思う。
そのときしか形を決められるチャンスは無い。粘土が固まったとき、それが自分のその後の人生の「スタイル」になる、なってしまう。固まった後は決して絶対それは変更することはできない。
だからこそ、粘土が固まる前にもがき苦しみ、その後の一生を支える自分にとって最もふさわしい「スタイル」を取捨選択する。倉本聡氏が言っていた「今しかできない」というのはそういう時間なんです。そういうことだとぼくは思っています。

僕の粘土は、少し硬くなってきてしまったように思うけれど、まだ動かせそうです。
だから、お酒は少し我慢して、未だ「スタイル」を探したり、調整をしている。そんな毎日をすごしています。 

先日お世話になった画廊のレセプションに参加した。
画廊は5月に閉館が決まった。とても残念だけど時間は流れていてオーナーもぼくも歳をとっていく。これも宿命だと思っている。
ふと、脳裏に思い出されたのは画廊で働いていた若い男の子のことです。20代後半くらいだったと思います。個展をやったときに僕の絵のコメントを聞かせてくれたりした。
僕は彼のことを心配していた。彼にとって、画廊の仕事は今しかできないことではない、と思っていたから。
簡単なようでいて、画廊の仕事もやっかいです。
画廊は、作家と作家をつなぐ深く広いネットワークをもっていなくてはいけないし、美術に関する深い理解や興味も持ち続けなくてはいけない。またそういう歴史やトレンドを常に取り入れ、楽しんで、人を集める人間性も無くてはいけない。
いろいろな世界で経験を積んだ最後の終着駅のようなところが画廊だと思うのです。
正直、彼にはまだまだ外の世界で勉強することがあるように感じていました。
それでいいの?と言おうと思っていたけれど、最後のレセプションの席には彼はいなかった。きっと、画廊の閉館に伴い、画廊を去ったのだと思う。彼にとっての今しかできないこと。それを見つける旅に出たのだと思う。

僕は多分ずっとここにいます。業務と仕事の間にもがきながら、きっとこれからもこのフィールドで発表を続けていくと思います。
いつかどこかで、世界の多くをみて成長した彼と、このフィールドで再会できることを願っています。もちろん、僕の方も、そのときにふさわしい成長を遂げた自分でありたいとも願っています。今しかできないこと、に挑戦し続けていきたいと思っています。□