今日の一冊

 

「怪談 牡丹灯籠」三遊亭円朝 岩波文庫

 

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世界って狭いよなぁ。と感じることが多々あります。

会社を退職して、新しい職場に入りました。
部署の異動とは違って会社が変わるわけです。職種も大きく変わるし、環境も変わります。
前の職場でお世話になった人たちとは、これでお別れだ。そう思っていましたが。
新しいプロジェクトでの打ち合わせの席。向こう側に現れたメンバーの中に、前の職場で一緒に働いていた後輩が、しれっといたりして「あれっ、おまえはッ?!」みたいなことになっている。
世界って、本当に広いようで狭いものです。
筋斗雲で延々と遠くまで飛んでいった孫悟空も、結局はお釈迦様の手のひらの中から抜け出すことはできません。それぞれの世界は平行線で、向こうに見える世界にはそうやすやすと飛び移れないようになっているみたいです。飛んだつもりになっていても、やっぱり同じ線の上にいたりする。

..........という話なんです。「牡丹灯籠」という話は。


牡丹灯籠といえば、亡霊となったお露さんが牡丹灯籠を掲げてカランコロンと下駄をならしながら恋人新三郎にとりつくという怪談だと思われているかと思いますけどね。
むしろ、この話が本編のスピンオフなんですよね。
本編は、実は父のかたき討ちをする孝助のお話なんです。

父を殺された孝助がかたき討ちをする剣術修行のためにお殿様飯島平左衛門に弟子入りをする。
お露さんのお父さんが平左衛門なわけです。
ところが、平左衛門の殿様の座を狙って、暗殺をもくろんでいる妾のお国がいて、それを阻止するために孝助が奔走するのです。
だけど、実は孝助の父のかたきが、実はお殿様の平左衛門であったり、殿様の敵であるお国が、孝助の異母姉弟であったり。
亡霊のお露を新三郎にとりついだ伴蔵の愛人がお国であったり。まあ出てくる人たちがどこかしらで、おそろしい因果でつながっているのですね。

この夏に下北沢で立川志の輔の「牡丹灯籠」を聴くことが出来てようやくその全貌が見えました。
それをきっかけにオリジナルの三遊亭円朝の速記を読みました。
江戸時代の記録ですが、時代を経てもやっぱり日本語を話しているのだなぁ。なんてしみじみとしてしまいました。

古い。といって嫌う人もいるかもしれないけど、古典にはやっぱりすべてが詰まってます。
怪談というにはおそいかもしれないけれど、この機会に古典にふれてみるのも、なかなかおつなものです。□