人情

僕はやっぱり江戸の人間だったんだな。

今更とても強くそんなことを感じます。
その正体は「(江戸の)人情」というやつです。
僕は江戸の人情で生きている。
人情をにじみ出して、人情によりかかって生きている。そいうことに気が付いたのです。

「人情」の意味を調べてみると、
「人に備わる自然な心の動き。特に、人らしい(愛)情・思いやり」とありました。

人ならば、誰にでも人情ってあると思うんです。
でも「江戸の人情」は、やっぱり江戸にしかないのかもしれない。
江戸の人情を見える化したものが「男はつらいよ」の寅さんだったり、江戸落語で語られる噺の数々です。
大阪で人情を描けば、上方落語吉本新喜劇になるのかもしれない。でもやっぱり江戸の人情とは違います。

「(江戸の)人情」の反対語は「正論」だと思ってます。

以前、大相撲の八百長問題で世間が騒いでいたときがありました。
なにをいまさら。と思いました。
この大切な一番、さあどうなる?ってなときに、思わぬ展開が起こって「おいおい今のやったな?(笑)」みたいなヤジは以前からふつうにあったのです。
勿論やっているかどうかはわからない。もしかしたらみんなの声に応えるために本当にやったのかもしれないし、あるいはそんなことは全くなくて本気でやりあった結果だったのかもしれない。
でもどっちでもよし、と笑うのです。そうやって白黒の境界をグレーにして、そのときどきの心の動き(人情の力)で結果を決めてきたのです。
見る人がどちらにでも倒せるようにやってるものに、正解を決めようとする必要なんてなかったのだと思うのです。

「それをいっちゃあおしめえよ」と寅さんが言ったやつです。

確かに規則に照らし合わせたらそれは間違い。だけど人情というフィルタに通ったときお互い見て見ぬふりをしてもらったりして、世の中回っているところもあるのです。
昨今、法令順守という時代になってきていて、グレーではいけないとするのも仕方がないのかもしれないけれど。
「人情」=「良い加減」ってのは日本人の心がもつ大切な無形遺産だと思うんです。
僕は大切にしたいと思います。というか生まれた時からそうやって生きて来たし、今更変えられないよなあ....。

ラフカディオ・ハーンの遺した作品にも人情が溢れてます。□