年賀状について

 

年賀状というものを書く最後の世代かもしれない。

 

大学院時代の研究室の秘書さんは僕と同じ歳だったけど、当時まだインターネットなんてのが一般にはまだまだ普及していなかったころに、僕の年賀状の返事を「電子年賀状」で送ってきたのでした。
その他の友人知人たちは誰もかれも、はがきで年賀状をくれていました。
当時は電子の年賀状は新しすぎて、形のない電子でしたためられた年賀状に、なんだか薄っぺらい印象を受けた記憶があります。だけど、今となっては、はがきで年賀状を書く人の方が少なくなっているのではないか。
それでも、僕は電子の年賀状というものを今も薄っぺらいものだと思っている。

いわば、僕は、オルセーとルーブルの境界で揺れて、印象派に取り残され、ルーブルに残ったマネのようなものなのかもしれない。

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エドゥアール・マネ「笛を吹く少年」

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クロード・モネ「日の出・印象」

2000年の年賀状だったか。
友人がカップヌードルをアップで食べる写真がど真ん中にでかく印刷されている。
その下にへたくそな文字でこう書いてあった。

 

「21世紀を食い尽くせ!」


この無造作な勢いのある挨拶に、大笑いした。
親友だからこそできる、手書きだからこそできる、年賀状ならではの力である。

 

そして入社して数年たったころに同期から届いた年賀状。
毎日毎日、先輩にアホ!ボケ!カス!と怒鳴られ続け、死んでやるとすら思っていたくらいぼろぼろだったころにもらった年賀状。
そのはがきはどこにでもあるような干支が印刷された殺風景な一枚だったが、その下に小さな、これまた汚い字で一言書いてあった。


「今年も耐えてください。」

 

「よろしく」じゃないんだ。「耐えてください」なんだ。
汚い文字にも何とも言えない表情があって、彼のシニカルな顔がはがきにぼんやりと見えた気がして、なんともいえない苦い笑いにいざなわれた記憶がある。
これぞ彼しか書けない秀逸な一言だったと思うのです。これが手書きの年賀状の力なのです。

 

時代は進んでいって、古いものにしがみついて、新しいものについていけないおじさんになってきていますが。

せめても、古いものの美しさを若い人にもしっかり伝えられるおじさんになりたいですね。□