ぼくらは、もう快適だよ。
快適を目指すというけど、もうぼくらはとっくに快適なのではないか。
快適を見たすための手段については、もはや全部やりつくしたのではないか。
手段を作り込むことはもうほとんど終わっちゃってる。
でも、それでも僕らは、快適にはなっていないことも知っている。
これだけものが溢れ、豊かになったというのに、僕らはまだ快適ではない。
手段は快適であっても、それを打ち消すものがあって、快適を満喫できない状態になっている。それは何か?
その正体は「家事」なのだと思う。
今、ぼくらが更なる快適を目指すということは、快適そのものを産み出すというより、快適を阻害するものを排除していくことじゃないのか。と思うのです。
「家事」は嫌いではない。むしろ好きな方だ。
だけど、体は1つしかないし、1日は24時間しかない。
全部はできない。
何かを削らなくてはいけない。
「家事」は始めから削れないものとして除外されているけど、もし削れたら?
自宅に帰ったら、即座に食事が出てくる。
食事が終わったら、食器の片付けは自動でされる。
風呂がすでに沸いている。入浴後は勝手に浴室の清掃が開始される。
掃除は全自動だ。洗濯物もたまることなく、自動でたたまれタンスに収納されている。
そんなふうになったとき、はじめて快適を楽しめるようになるのではないか。
まあ、そうなったらそうなったで、また次の阻害要因が現れるのだろうけど。
まあ、そんなこんなも全部ひっくるめて、僕は今くらいの便利さで、かつ、めちゃくちゃで忙しい状態が「快適」なのだと思います。
時間があふれたら、やる事がなくなって、じゃあ出馬でもするか。みたいになってしまうかもしれない。□