「散歩の達人」なんていう雑誌がある。
なんて大袈裟な。なんて思っていたのだが。
最近、散歩をすることを始めて、確かに、散歩には達人たるスキルが必要なのかもしれない。と感じたりもし始めている。
スキルと言うより、心構えという方が適切かもしれない。
「サライ」2021年4月号で「散歩」が特集されている。
散歩といえば「暇つぶし」とか「運動」と日本ではとらわれがちだけど、そんなものではない、と。
英国では散歩というものが、脳を活性化し、個々の仕事効率を向上させ、交流を図る重要な手段であったとある。
それは、実際に散歩をしてみると、ごもっとも!と頭や体で納得する。
自宅で長い時間を体も動かさずにじっとデスクに向かっていると、体が悲鳴を上げてくる。頭で抑え込んでも体は正直である。このままじっとしていたら体が腐り始めてしまうような感じになる。さすがにそんな悲鳴を受けて、じっとはしていられない。体からのリクエストに素直に応えるべく、散歩に出ることにしたのです。
目的は決めない。
ただ、歩く。なんとなく、ちょっと遠くにある神社あたりをなんとなくのゴールにして経路なども決めず、行きあたりばったり出歩いてみたのである。
これか。
これが、散歩か。
大袈裟な表現をするつもりはないが、その時間、その瞬間だけの、くうき、ひかりがなんともない景色を照らす田園や街並みの中を、なんとなく歩くだけで、たしかに、小さな発見があり、脳が、体が元気になる。
デスクに縛られ、むしろ仕事すらも硬直していたのだが、急がば回れ。むしろそんなときは散歩に出るくらいのほうが、仕事の障壁すらも乗り切れたりもするのだ。
なんとなくメモに残した風景や写真が新しい創作や仕事につながっていくようなきがする。
自分も、少しは散歩の達人に近づけただろうか。□