ゴールキーパーは、いつ自分がゴールキーパーになることを決めたのだろうか。
小学生のころサッカーの真似事をして仲間たちとボールをけり合っていた頃、とくに誰かが彼の動体視力やら反射神経やらのスキルを見極めることもなく、なんとなく、「あいつはゴールキーパーだ」という指名をしていたように思う。以来ずっと、彼はゴールキーパーだった。
フォワードやらはクラスの中で、ドリブルがうまいとか、足が速いとか、キック力があるとか、誰がみてもわかる運動神経の高いやつがいて、満場一致で決まっていたのだが、ゴールキーパーになると、果たしてなんであいつがゴールキーパーなのか。がよくわからないまま、決まり、そのままになっていることが多かったと思う。
そんなどこにでもある地方の小さな学校で、なんとなく決められたゴールキーパーの中から、優れたものが勝ち上がってきて、今の日本代表になっているのだとしたら、実は本当に動体視力が優れていて、反射神経が高い、真性のゴールキーパーは、世の中にうずもれているのではないか、と思ってしまうのだ。
高校時代に幅跳びが得意な仲間がいた。
まるでそんなスキルがあることを知らずにいたので、体育の授業で幅跳びをしたときに、すごい記録を出して行く彼を見て驚き、すごいねと声をかけたのだが、彼は「幅跳びなんてやりたくもない」と答えた。「俺は絵心が欲しかった」と。
初めて描きます、とアトリエに来た男子が、描いた絵がいきなり面白かったりする。
磨けば、コンクールやら公募展でも前に出られるくらいのものがある。
だけど、数カ月もすると、仕事が忙しくなったとか、家庭の事情だとかで、さっくりとアトリエをやめてしまったりする。
人それぞれ、他の人には無いスキルを持ち生まれているのだけど、自分が本当にやりたいことなのにできなかったり、全然興味が無いのにできてしまったりする。という不条理が、この世界には、ある。
ゴールキーパーだって、自分より動体視力や反射神経が鋭くて、それでいて別にキーパーになんてなりたくない奴に出会ったりすることもしたのではないか。
そのスキル使わないなら、僕にくれよ。と言いたい。
世の中にでて前線で活躍している人ってのは、そういうねじれから逃れて、やりたいこととスキルが合致した奇跡的なそんざいなのではないか、と思ったりする。
世界って、なんかねじれてる。
でもその不条理を受け入れてでも、やっていくしかない。そういうもんなんだな。□