今日の映画 「最後の決闘裁判」

(注意) 以下、ネタバレ込みで記載

 

 

 

傑作です。

 

リドリー・スコットの仕事はやっぱり素晴らしい。

最期の最後まで、彼の仕事はしっかり見届けておきたい。

 

マット・デイモンアダム・ドライバー、ジョディ・カマーの演技も素晴らしい。

助演者たちもしっかりわきを固めている。

 

先ず映像に圧倒される。合戦の重厚感、街並みや人々の生活空間の作りこみが素晴らしい。なんとなく眺めるという見方ではもったいない。映画館で観たかった。

 

キャラクターの存在感にも圧倒される。
マット・デイモン演じる騎士・カルージュの不器用で無骨な男気。
アダム・ドライバー演じるル・グリの嫌気のさすエロさ加減。
ジョディ・カマー演じるカルージュの妻・マルグリットの迷いに立ち向かう健気さの中の強さ。
わきを固める伯爵の嫌な奴ぶりも最高だ。

 

生身の人間が1対1で殴り合うシーンを映像化するとき、殴り合っている本人たちが感じている痛みや、疲れ、苦しさを、視聴者にわからせる、共感させるってのはとても難しいことだと思う。どうやって見せるか。カメラアングル、1カットの切り方、デフォルマシオン、編集によるつなぎ、音響。それらを駆使して「これは痛い」「目が離せない」と思わせる映像に仕上げる。
本作のラストシーンで描かれる、カルージュとル・グリの決闘は、それらに成功している。観客席で二人の決闘を見守るバカな顔をした王様が「行け行け!」と興奮していたが、視聴者である自分も、確かにあの席にいた。
躍動感、緊迫感、生々しさ、重厚感。まるでPRIDEのリングサイドで、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラVSミルコ・クロコップを生で観戦したかのような迫力だ(たとえがニッチ)。

余談だが「シン・仮面ライダー」のラストで、仮面ライダー1号・2号VS蝶オーグの殴り合いがあったが、個人的にはあのシーンは、すごさがどうも伝わり切れておらず、今改めて「こんな感じで描きたかったですか、庵野監督?」と問いかけたい気持ちになる。
シン・ゴジラやシン・ウルトラマンのように「巨大な怪獣ヒーローを描く」のとは違って、等身大の人間の闘いを描くのは本当に難しい。生身の殴り合いにすると「重さ」が伝わらないし、ならば。と、CGを駆使した戦いにしちゃうと「ドラゴンボール」になっちゃう。シン・仮面ライダーの苦悩はそこにあったように思う。そしてその一つの答えが「最後の決闘裁判」にはあると思った。

 

悪口も。

第一章 無骨な騎士・カルージュ

第二章 エロ従騎士・ル・グリ

第三章 カルージュの妻・マルグリット

本作は、3章構成になっていて、それぞれの視点を変えてこの事件を描いているから、黒澤明の「羅生門」のように、お互いの主観の言い分にずれがあるのを楽しむようにできていることを期待した。
例えば、ル・グリの主観では、お互いの賛同の元でマルグリットと交わったが、マルグリットの主観ではレイプされた。とか。
だけど、どの視点からも事実にずれはなくて、やっぱりル・グリは変態。マルグリットは被害者。カルージュのル・グリへの怒りは誰が見てもまっとうなもの。だった。

ル・グリのレイプシーンが、二章の後、三章でまた現れたとき、「うへえー、あれもう一回みるのかよ」と思って辟易してしまった。同じ事実を別視点で描く意味あるのかよと思ってしまった。本作を三章構成にする必然性は弱かったと思う。

 

フランスの小学生の歴史教科書に、1行くらいは記載される事件なのだろうか。

わずか1行の中にこれだけの人間の戦いがある。

たった1行の言葉で素通りしてはいけない。それが歴史の面白さだと思う。

本作はいわば、リドリー・スコット版・大河ドラマともいえる。