夢十夜 Season3 第四夜

こんな夢を見た。

3日間のスケッチ旅行に出かけていた。
旅から戻ったら一度、店に顔出すよ。
旅先から母に電話でそう伝えると、母はなんだか歯切れの悪い返事をしたような気がした。いつもなら待っている、と言ってくれるのに。
旅から戻ると、いつもの坂をおりて寿司清へ向かった。
ところが、なんだかいつもと様子が違う。
坂を下りきって四つ角をわたると、道路の上に美容院やら飲食店が店を開いている。
屋根も無い空の下、店の境界もなく、散髪席がいくつも並んでいたり、飲食店のテーブルが並べられている。その間を理髪師やウエイターが行き交っている。
そんな間を抜けて奥へ進んでいくと、寿司清が見えてきた。
だが、寿司清もすっかり姿を変えていた。
前面がガラス張りになっている。
2メートル四方の看板が前面に設置され、カッコいい大小の文字が縦や横にデザインされている。店の名前なのか、格言のようなものなのか、意味は全く分からない。メモを取り出してそれらの文言を丁寧に全てメモした。
ガラス越しに店内を覗きこむと、店内もおしゃれである。たくさんのテーブル席、立ち飲みのための席、そして奥にはカウンター席がある。店内は若い女の子やカップルであふれ、これまでの寿司清の客層とも全く異なっている。
奥に母と父の姿を見つけたので、思い切って店に入って行った。
メイド喫茶のようなウエイトレスが来て、席を案内しようとするところを、関係者です。と伝えると、ウエイトレスが目を丸くして驚いている。
母が、自分を見つけると、見つかっちゃった。という少し気まずそうな顔をしている。父もやってきた。店をやめるくらいなら華やかに改装をして続けることを選んだ、と話していた。
そういえば改装の話はずっと以前から聞いていたことを思いだした。
ところが、目が覚めてみると丁寧にメモしたあの看板の文言はひとつも思い出せなかった。□

築地の思い出

 

 

「カシ行くか?」

 

小学生のころ、父は僕をカシに連れて行きたがった。
魚を仕入れる場所を幼い息子に見せておきたかったのかもしれない。
社会勉強をさせて将来、店を継がせたいと思っていたのかもしれない。
「カシ」が「河岸」であることを知ったのはそれからだいぶ経った後だった。
幼い頃は意味も分からず、カシカシと言っていたような気がする。

父は、ときおり生き物好きの僕のために、食材である沢蟹やザリガニを観賞用に買って来てくれることがあった。
小学校から帰ると、沢蟹やザリガニが洗面器の中で元気に動くさまをみて、とても喜んだ思い出がある。
行きたいと言い出したのは、実は僕の方だったかもしれない。
いろいろな生き物がいる河岸をペットショップのように思っていたのかもしれない。
河岸には魚屋に魚を売る店が並ぶ。つまり魚屋の開店前には河岸の商売は終わっている。つまり朝がとても早い。
朝の4時ごろ父に起こされて、眠い目をこすって連れて行ってもらった。河岸へ向かう電車内にはほとんど客はいない。
初めて河岸を訪れたその日、父が一人で仕入れに行っているときは、決して一匹では売ってくれなかったと聞いていた食用蛙を、僕の姿を見るや否やガンコ店主は「坊主、何匹欲しい」と売ってくれた。
それから1年ほど、巨大な水槽に2匹の食用蛙を飼った。巨大な蛙だった。
本来は、足の部分を食べるようで、モモに厚い筋肉がついていた。水槽を洗うときにバケツに移して重石でもしておかないと、あっというまに遠くに飛んで行ってしまう。僕が飼いたいと言っていたにもかかわらず、水槽の掃除やら餌やりの多くを父がやってくれていた。
1年ほどたったころ、父は言った。
「世田谷八幡の池に逃がしてきたぞ。」
僕も蛙に飽きてしまって、父も面倒を見切れなくなったようだった。
なんだか僕のせいで、突然の切ないお別れになったことを今もよく覚えている。

こんなこともあった。
霞が関駅で地下鉄サリン事件が起きた朝、父は築地に仕入れに行っていた。
大学に行く前のテレビでニュースを見て真っ青になって、寿司清に電話したら父が出た。父の仕入れの時間が終わった後に、あの凄惨な事件が発生したのだった。
築地にはそんな思い出もある。


1年前に盛り土問題や汚染問題が発覚して大騒ぎとなった豊洲への移転を決行して、世界的な「TSUKIJI」ブランドを捨てることには、今なお疑問を感じている。
築地は僕にとって父との思い出の場所でもあるのだった。
できることなら自分が生きている間にはこんな終わり方を見たくはなかった。

それでも、せめて築地場外市場は残ったみたいだから、あのころを思い出しながら、また近いうちに築地に遊びに行ってみたいと考えている。□

「移動」という名のスイッチ

自宅で仕事。というスタイルが広がってきています。

場所や時間は問わない。成果を出してくれればいい。

いわゆる働き方改革というものが広く知れわたって、実践されるようになってきているということでしょう。

僕は古い人間なので、やっぱり朝起きたら会社へ行くというのが体に浸みついていて、家で仕事していいよと言われても、はいそうですか、では明日から自宅で。とは、なかなかいかない。
ただ、今年は本当に台風が何度もやってきたから、帰宅難民になるくらいなら家で仕事しましょう。という雰囲気が周りにも出来てきて、自然に自宅で仕事を試してみる機会を持てました。

仕事が始まってしまえば、もうどこでもいっしょです。

むしろ周りががさがさしていなくて普段よりも集中できたくらいです。

ただ、違和感があったのは「移動が無い」ということでした。
自宅で目が覚めて、そのまますっと机に座ったら、もうそのまま仕事が始まるのです。
通勤という時間がない。
僕にとっては、会社に向かって歩く。物理的に離れた場所へ向かっていく。という行為を経て、頭を自宅というプライベートから、会社というパブリックに変換をしていたんです。

そこでふとこれと同じ感覚を、実はもっと前に経験していたことを思いだしたのです。

アトリエです。
僕にとって絵の制作も大切なもうひとつの仕事です。
アトリエは自宅の一室。これってまさに、在宅勤務ではないか....!

会社の業務が終わり、自宅でもう一つの仕事=絵画制作が始まる。
個展の制作が佳境に入ったとき、その日の絵画制作の仕事が終わった後も、制作中の絵が「もう終わり?こんなんでいいの?」とずっと声が聞こえるような気がして、少しも気持ちが休まらないんです。
やっぱり「自宅」と「会社」と「アトリエ」という空間は、それぞれ物理的に離れたところにあって、「移動する」というスイッチを経て、公と私の頭を切り分けないと、しんどいなぁと感じたのです。

「移動」という名のスイッチ。
実はこの考え方はとっても大切なのかもしれない。
働き方改革も、答は1つではないのかもしれない。働き方改革、まだまだ過渡期です。


#で、つまりやっぱりどこかにアトリエが欲しいんだな、僕は。□

美しい。ってなんだろう。

美しさって、

花や、景色にだけじゃなくて、

言葉にもあるし、仕事にだってある。

「あの人の佇まいは美しい」だとか、

「あの仕事は美しい」という使い方だってある。

「あれは美しい絵だ」と言ったりもする。

なんでもいい。

何かひとつでいい。

何かひとつ「美しい」といわれてみたい。

仕事が美しい。でも、

姿勢が美しい。でも、

所作が美しい。でもいい。

もちろん、いちばん力を入れている絵が美しいと言われるのが一番なんだろうけど。

なにか一つにでも「美しい人」に少しでも近づけたらいい。と最近強く願います。

うーん......言い訳を始めているのかなぁ、僕......。

あ、無理に言わなくていいですから。
というかすぐにわかっちゃいますから。どうかやめてつかあさい。
自力で何とかしますのでね。必ず....(!)□

ツボ

 

貴乃花、退職。

 

大相撲のスキャンダラスなニュースが繰り返されています。
いろいろ複雑な事情があるのかもしれないけれど、今見えている範囲の情報で判断する限り、僕は、彼のやり方にはあまり関心はしません。
全てを、悪い方、悪い方、に解釈して、被害者になって見せたり、見下ろしてみたり。わがままを吠えまくって、聞き入れられないと、へそを曲げ、駄々をこねている。そんなふうに見えます。
やりかたも、姿勢も、態度も、どうも共感が出来ません。
会見のさまを見ていてなんだかムカムカしてしまったのです。

それで、兄にメールを書いたんです。
たぶんこのムカムカに共感してくれる人を探していたのでしょう。
兄から悪口が返ってきてくれることを期待していました。
しかし、兄からは衝撃的な言葉が返ってきたのでした.......。


僕「 貴乃花、退職だって。」


兄「 ........プロレスか?


貴乃花は退職して、いよいよプロレスにデビューするというのです。
確かに格闘界において、力士が引退後、リングに上がることは良くありましたが、今回の事件からの貴乃花のプロレスデビューは全く想像すらしていませんでした。
100%悪口の返事を期待していたというのに、まさかのこの変化球。
これが僕の笑いのツボのど真ん中に直撃してしまったのでした。
眉間にしわを寄せて、角界を非難する痩せきった彼が、レスリングパンツをはいてリングに上っている姿を想像したとき、立っていられないほどの激しい笑いが僕を襲ったのでした。床に転げまわりました。

更に兄のメールは追い打ちをかけてきます。


兄「 もう声はかかってるはず。

   近い将来、マジであるよ。レスラー 貴の花。

   大仁田&大砂嵐 VS ボブサップ&貴の花 」


カードまで組んで送って来やがった。
僕も笑い転げながら応戦します。


僕「 大仁田&曙 VS 天龍&貴乃花 でしょう。

   大仁田&曙 VS 貴乃花若乃花。でもいい。

   3万円までだったら絶対観戦に行くよ。」

 

兄「 曙は駄目。心不全で入院してる。死にそうです。」


もう何が来ても駄目です。狂ったように笑ってしまいました。

予想を超えた突然の笑いがやってきて、腹筋がはちきれそうになりました。
最近、体を鍛えていなかったせいか、腹筋は本当にあぶないところでした。


それから数日後、またも入ってきたニュース。

 

「 貴乃花参院選出馬か!? 」

 

またも失笑してしまった僕は、兄に送ったのでした。


僕「 貴乃花参院選でるみたいです。

   レスラーデビューなんてしないぞ。」


すると、またもするどい兄の切り返しが。


兄「 二刀流デビューです。議員とレスラーの。

 

たぶん5年分くらい笑ったかと思います。
実際これだけ笑ったのは5年ぶりくらいだったと思います。

僕は、笑うよりも、笑わせる(笑われる)ことが多い人間です。
久しぶりに、腹がよじれるほど笑って、とてもしあわせでした。
(ちょっと不謹慎な笑いだったかもしれないけれど......)

笑うっていいなあ。でも次にこれだけ笑えるのは何年後だろう。
誰か僕を笑わせてみてください(挑戦状)。□

優しい目

 

職場の宴会の余興で、若手社員の漫才が披露された。

 

M1グランプリの予選に2年連続で出場しているという。
どちらも1回戦敗退だったようだが、今年も出場予定でいるらしい。
一般人でも参加が出来るのか、ということに驚いたが、それ以上に身近にそんな挑戦をしている人間がいたということにも、また驚いた。
漫才は形になっていた。
我がオフィスならではのネタが盛り込まれ、ボケとツッコミが小気味よく展開されていた。

すごいねえ。と感嘆の声を上げる仲間達。

確かに、すごい。

だけど僕は、このとき同時に、この「すごいねえ」の意味を冷静に考えていた。

僕らは、とても優しい目で彼らを見ている。
僕らは、バラエティ番組に登場するチャンピオンクラスの漫才師と彼らとの比較は最初からしないと決めている。それほどまでの大きな期待値をかけずに彼らを見守っている。
身近に漫才に挑戦をしている人間が滅多にいない中で、挑戦しているという点で、すごい。という見方をするようにしている。ほぼ無意識に。
冷たい書き方になるかもしれないけれど、本業がある。余暇でやっている。お金をとるわけでもない。プロというわけでもない。だからこそ、素直な目でその挑戦だけを、優しく見守ってあげられているのですね。

きっと、僕が描くということもほぼ同じこの「優しい目」で見られているのだな。
そう気付いたのでした。

仕事と両立していてすごい。描けてすごい。個展を開くなんてすごい。
みなさんそういってくれます。
だけど、良くも悪くも、ぶっちゃけその多くは「情」で見守ってくれているだけなんです。

作品が、良いか、悪いかではなくて、ただ、やっているか、いないかだけを見られている。
僕は、その目線を引き上げたいと思います。
お願いをして見てもらうのではなくて、見たいと思って来てもらいたい。そういう水準にまで作品を引き上げたいと思っています。

関心の無い人の目をいかに作品に向けさせるか。

目の肥えた人たちの目をどれだけ驚かせるか。

情けの無い世界でどれだけ戦えるものが作れるか。

それが挑戦なのです。
そんなことを言い続けて、もう15年もたってしまったけれど。
みんなそれぞれで闘っている。僕も、ひそかに。強く。戦いを続けます。□