ピョンチャン五輪閉幕

最後の最後まで盛り上がったピョンチャンオリンピック

2/24は、カーリング女子の「そだねジャパン」が銅メダルという歴史に残る大いなる結果を残してくれて、日本中が湧きまくっていたけれど、実は僕はあまり試合をじっくりは見れてはいないのでした。自宅にいたにもかかわらずです。
絵を描く手を休めてテレビを観ることはできたのだろうけど、つけっぱなしにしていたくらいであまり観れてはいないのでした。

僕はすぐに世界に引き込まれてしまう。

2/20に、渡部暁斗選手のノルディック複合のレースが生放送されていたときにちょうど夕食を食べていたんだけど、レースのなりゆきにどきどきしてしまって、全然胃が働かなくなってしまったのです。
しかも、最後の最後にドイツの三羽烏に追い抜かれて、金・銀・銅を全部ドイツに取られてしまった。その姿は、あたかも渡部選手が生きながら三羽の烏に肉を喰われていくような残酷な映像として僕には見えてしまって、気分が悪くなったりしてしまった。

リアルタイムで見るのは(僕にとって)体に悪い。
ほんとうは、今まさにがんばっている選手の姿を皆と共に応援するべきなんだろうけど、わずか数秒、数分先に待ち構える未来の姿がこわくて、テレビを直視できない。
だから、結果が分かった後の録画映像で見るのがいつのまにか自然になっていったのだと思う。

どこの世界にも勝負っていうのはあって、ときには自分が誰かのポストを奪ったり、また誰かに奪われたりする。
それが人生の縮図というやつなんだろうけど、僕は年々、競争とか戦いみたいなものが苦手になってきている。
美術なんて定量化できないものにずっとしがみついてきてしまったせいなのかもしれない。というより、定量化できないものを求めて、美術のフィールドに逃げてきたのかもしれない。
結局、昨日の僕よりも今日の僕がうまければいい。それだけなんだよね。

それでも、やっぱりまだまだ戦わなくてはいけないのだと思います。
書を捨てよ、街へでよ。ってことなのかなぁ。

オリンピックでもらった、この感動を胸に僕なりの金メダルを目指したいと思います。□