「絵を見る技術」 秋田麻早子著 朝日出版社
絵がわからない。と、会うたびに父が吠える。
ならば僕が描いた絵なんてもっとわからないのだろうけど、直接僕に言えないから、ピカソやゴッホを悪く言うことで、間接的に僕の絵をたたいているのではないか、と思ったりもする。
教えてくれ、というので、自分なりに絵の見方を説明したりする。だが言葉で説明ができるのであれば、絵なんていらない。案の定、説明しても、ぽかんとした顔をしていて、全然耳に入っていないようすだ。聞いてきたのはそちらなのに、まったく聞いていないようすに、こちらもいらいらしてつい声が大きくなったりする。
そんなことをもしかしたらこの本が解決してくれるのかもしれない。
一回父に読んでみてもらいたい。
きっと感激すると思います。いい本だと思います。
でもね、やっぱりこの本でも僕が言いたいことは書かれていなかったのです。
「技術」というのは定量化できるものですね。
本書には画面の構成とか比率とか色のバランスとか法則とか、定量化できる話を中心に書いてある。これはこれで理系の人などにはとても役に立つのではないか。
だけど、僕はどっちかというと、絵のおもしろさは、技術よりも、「味」とか「におい」に近いものをどのように感じられるか。にあると思っているのですね。
絵画とは「目で見る味、目で見るにおい」なんです。
それ以上は言葉にできないのですね。
それが感じられるようになるまで浴びるように見るしかないし、こころから好きというものに出会えるまで、見続けるしかない。
それをことばにしようとするからいつもくじけてしまうのだね。味を言葉にできないのと同じです。
父は、本物そっくりに描けているものが好きで、「どれだけ本物に近く描けているか」で、面白い、つまらないを決めているようだけど、
僕は、作品を通して「本物そっくりに描こうとした作家の癖や考え方」を目で味わって、嗅いでみて、読んで、おもしろい、つまらないを決めているのです。
「絵の味わい方。絵の嗅ぎ方」
もう1冊。そういう本が出たら、この本と合わせて完結するのだろうと思います。
「龍の頸の玉」「仏の御石の鉢」「蓬莱の玉の枝」「火鼠の皮衣」 「燕の子安貝」をもって来い!というかぐや姫の気持ちですが。□