弘法、筆を選ばず。
という言葉があります。
達筆で知られる弘法大師(空海)ならば、どのような筆でも素晴らしい書が書ける、転じて優れた技量を持つものは道具の優劣に左右されない、見習いが仕事の成否を道具や材料のせいにするのを戒めた言葉。とあります。
僕にも、この言葉を思い知った経験があります。
アトリエの先生が描くスケッチが素晴らしいのです。
はじめてスケッチをはじめた20年ほど前から、今になっても、先生のスケッチは素晴らしい。
はじめて見たときは呼吸が止まりました。20年たった今になっても、呼吸がとまります。
アトリエのスケッチ旅行にでかけたとき、毎晩その日に描いた作品の好評会があります。まず先生が作品を見せてくれるのですが、誰もが歓声のため息をもらすのです。僕もその一人で、雷にうたれたかのようなショックを受けます。同じ景色を描いたのに、どうしてこれほどの差が出てしまうのか。どうして先生のようにうまく描けないのか。そんなことが20年たった今でも続いています。
ドイツ名門の高額の絵の具や、稀少な動物の毛の筆を試したりもしました。
確かに、発色はきれいです。手触りもいい。だけど、うまくは描けません。
先生が使っていたのは「画材」というよりも、むしろ「文房具」という程度の、画材でも最低ランクの格安の絵の具と筆なのでした。
お金では、技術は手に入りません。
ぼくは、技術がほしい。
ぼくらは先ず、手段より、技術を手にいれる努力をすべきだと思います。
今ある環境、今ある時間、今ある道具で、技術を磨く。ベストを尽くす。のがよいのだと思います。
手段は、こちらから取りに行くのではなくて、 技術が成熟したときに、向こうからやってくるのだと思っています。□