「素朴絵」に愛が募っている。
優れた絵画と言えば、天才的な技術を持った作家の名品。といったものが一般的なイメージだけど、長い美術の歴史の中には
「なんだこれは?!」
「らくがきか?」
「僕にも描けそう」
.......といった、いわゆる「ゆるい絵」というものが存在する。
これまでは民俗資料館などで扱われてきた「ゆるい絵」を「素朴絵」という美術作品として、改めて見直そうというムーブメントがひそかに起こり始めている。
これまで何度もそういう作品に出会う機会はあったけど、主として国宝クラスの名品が展示される展覧会の隅の隅に忘れられたように置かれていたりで、あまり強くは印象に残っていなかったのです。
が、昨年開催された「日本の素朴絵展」などによって、展覧会の主役としてみる機会を経てみると、これは面白いという発見となって、これまで観てきた、散らばっていた素朴絵の記憶が、数珠繋ぎになっていくのを感じたのでした。
緊張感に研ぎ澄まされたトップクラスの絵も素晴らしいけれど、思わず失笑してしまうような素朴絵という作品にも、心和やかにしてくれて、元気をもらえることに気づいたのでした。
こんな作品もある。
怪獣か。口から出ているものも謎だ。
9月から東京ステーションギャラリーで開催される「大津絵展」も楽しみである。
「坊主の髪を剃る妖怪の図」?
なんで梯子に上ってるんだ。と突っ込みたくなる世界観とゆるさ。
へたうまというのか。
マネしても決して描けない瞬間、間違いなくそれは1つのアートとなる。
最近、自分でもゆるい絵を描きたいと思うようになっているんだけど、どうしても「うまく描きたい」という頭が邪魔をして、素朴に鉛筆を走らせることができない。
「わたしでもかけそう」と言われる作品は多くあれど、そこに観る人の目線を合わせ、安心させる、という高等なスキルが内在していることに、多くの人は気づいていない。
誰かに見られるというような意識がすっとんで、描きたいという素直さだけが作品に残らなくてはならない。これは実はなかなかに難しい。
以下は、ナンシー関氏の名著「記憶スケッチアカデミー」で、「ニワトリを描け」というお題に対し、一般人が描いた作品である。
「4本足かよ!」
「眉毛かよ!」
もはやニワトリであることを見破るのが難しいくらいの新たな生物がそこにいた。
大昔、本書を店頭で立ち読みしていたときに、笑いのツボのど真ん中に入ってしまい、店頭で腹がよじれるほど笑ってしまい、収拾がつかなくなって、本書を衝動買いし、逃げるように帰ったのである。
思えば、これが僕の「素朴絵」との出会いだったのかもしれない。
ぼくにとっての「ゆるい絵」を描けるようになったら、ここでも紹介していきたいと思ってます。□