もう取材しなくても絵が描けるのではないか。
形は単なる一つのきっかけである。
ただ、きれいな色。きれいな形。を描くだけでいい。余計なことは語らない。
そう思うようになった。
ならばわざわざ遠くに行かなくても、そのへんの住宅地でもなんでも、ひいては、真っ白なスケッチブックを机の上に広げるだけで、どんどん絵を描いていけるのではないか。と思った。
だけど、やっぱり駄目だった。
「感動」がないと絵は描けないのである。
ただのトタンを組み合わせたような模様のような構成であっても、頭で作り上げた形には、感動がない。そのまま絵にしても、動機が弱くて、絵が痩せてしまう。
では「感動」を内発出来ないか。
これまでの旅でもらった「感動」だけを切り出して、頭で作り上げた形に「移植」する。
それによって、絵は作れないか。それが今の仮設・課題である。
僕の錬金術は、もう一歩のところまで来ている。□